牧師は結局、神にのみ責任を負う
〈評者〉金井美彦
本書は自伝と言えないものの、氏の生い立ちから牧師になるまでの経緯(第一部「生い立ち」)、一九七五年から十三年にわたる、ルーテルアワーの冊子『なかま』掲載のエッセイの再録(第二部「ある牧師の眼」)、さらにルーテル教会の牧師を解任され(一九九五年)、青山学院アイビーホールを拠点とするブライダル専従牧師の時代、二〇〇六年復職以降のエッセイを核とした第三部「折々の記」、そして旅の記録である第四部「聖地探訪記」からなっており(二〇二〇年の日付の文章もある)、氏の生涯のあらましがおおよそ浮かび上がる。
世代の差を思う場面もあるが、一方で氏の牧師としての活動とそこで出会ってきた人たちの姿を見ていくと、私自身の思いや活動と実は多くの場面で重なっており、非常に親近感を持ったのである。
牧師のエッセイ集ということで、信仰論や神学が開陳されているのかと思いきや、むしろ伝統や権威から離れて自由に働く栗原牧師の姿が印象的だ。第二部にある「環境を守る」と題した一九七五年の文章にあるように、教会のある地域で「**二丁目環境を守る会」を発足させ、この活動に邁進される。
「牧師のわたしには、世にいう駆け引きが身につかない。交渉はもっぱら、正面切ったものでやるしかない。住民に対しては地域エゴに陥らぬよう働きかけ、企業に対しては、企業モラルを問う。妥協ではなく、適正な合意を引き出すことにのみ奉仕しようと努力を傾けてきた。ロマ書一二章二節が行動基準、指針である」(一〇九頁)。
氏もまた経済至上主義の戦後日本、そして土地資本主義に支配された日本の当時の現実に強い批判を持っていたはずである。しかし氏は「適正な合意」とうい言葉に踏みとどまる。その姿は踏み外せば転げ落ちてしまうきつめの尾根を、なんとか頂上へ向かおうとする登山者である。だからと言ってそれはバランスをとるとか、中立であるというのとは全く違う。「何が神の御心であるか、何がよいことで、神に喜ばれ、また完全であるかをわきまえる」(ロマ書一二章二節)ことが第一なのだ。
氏のこの立ち位置は、一九九五年の湯河原町での町議会選挙に際して、ツルネン・マルティ(弦念丸呈)氏の後援会長を引き受けたことにも明らかだ。ツルネン氏には利権にまみれたその町を平和で民主的な街にしたいという強い思いがあったが、後援会を引き受けてくれる人がなく、ついに栗原牧師にお願いに来た。牧師は逡巡する。「政治的中立性」、これを忖度するなら、結局何もしないということになる。しかし、栗原牧師は引き受けた。政治的中立という美辞によって、不作為が正当化され、正義が損なわれていくことに耐えられなかった。氏が起草された『湯河原新聞』に折り込まれた挨拶文の一部を引用しておこう。
「(弦念氏の)立候補のニュースを聞いた人々の中には、もちろん、賛否両論があるでしょう。ひょっとしたら彼の登場によって具合の悪くなる人もいるかもしれません。しかし、異なる者を排除して同じもの、似た者だけで作る、閉ざされた「和」が尊いとは思えません」(一九九頁)。
差別の相次ぐ二〇二三年の我が国の状況では、この言葉は今なお重い。あまりに残念である。とはいえ、選挙で弦念氏は当選するも、後援会員二五〇人のうち、当選祝いに来た人はなんと四名であったというのだ。弦念候補を支持した人は一〇五一人おり、四位当選であったが、皆で集まって万歳するという空気はなかったという(二〇〇頁の注を参照)。大っぴらに支持することは身を危うくすることも、現実なのかもしれない。しかし、本当はそう思わされているだけかもしれない。
この活動のこともあったせいか、間もなく牧師職を解かれ、職を失うが、ほどなくブライダル専門の牧師として「拾われる」ことになった(二〇八頁)。しかしここから新たな展望が開かれる。そして氏は強くなった。この先も紹介したいが紙幅が尽きた。氏のエッセイに深く刻まれたイエスとパウロの働きへの真摯な洞察を、私自身の糧としたいと強く思う。じわりと力が湧いてくる、豊かなエッセイ集である。
金井美彦
かない・よしひこ=日本基督教団砧教会牧師