奈良県の北西部、斑鳩のはずれに住み始めて一年がたちました。牧師をしながら隣接する幼稚園の園長の仕事もしている私は、送迎バスに添乗します。その車窓には法隆寺の五重塔。実にぜいたくな眺めです。歴史の彩り豊かな地での暮らし。点在する古寺の掲示板には、示唆に富む手書きの言葉が貼られています。それらを見るのが、私のちょっとした楽しみです。
湧水のように新鮮な、生きた言葉と出会う。得難い機会です。自分に何かを問いかけてくれる言葉に出会えることは、これほどまでに喜びであるのだと、あらためて気付かされる今日この頃です。
怠慢ゆえの愚痴と思われても仕方ありませんが、正直に申し上げます。読書は牧師の大切な仕事のひとつと知りながらも、まとまった読書ができないのが、最近の深い悩みです。文字にはたくさん触れるのです。幼稚園の補助金の申請書類、忘却の彼方にあった会議の議事録案、労務管理のハウツー本。夕方遅くに帰宅すればソファーに身を投げ出し放心状態。「風呂キャンセル界隈」は全力で回避していますが、もはや「読書キャンセル界隈」寸前の日々です。
そのような中、積み上がった書類の奥深くに身を潜める私を助けてくれたのは、1章ずつが短い時間で読み切れる本の存在でした。スキマ時間に読み切れる文章はありがたいものです。読み切れたことによる小さな達成感もうれしいものです。
また、読書は、大長編の難解な映画を観るようなあり方はもちろん、写真のシャッターを鋭く切るかのような向き合い方もあるのでしょう。自分の心の奥に差し込んできた物語や言葉が、世界の見方をほんの少し変えてくれる経験は、文章の長さや本の厚さでは計りきれないものです。
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『たからさがし 神さまからの不思議なおくりもの』
本が読めていないと嘆く私ですが、実は著作があります。『たからさがし 神さまからの不思議なおくりもの』です。月刊誌『信徒の友』など、いくつかの雑誌で連載していた文章をまとめたり、書き下ろしを加えたりしたものです。読みやすい長さの全24話を四季の移ろいごとにまとめています。キリスト教のむずかしい用語は使わず、誰もが使う、平易な言葉で綴っています。日常の気にもとめていなかったことが、実は味わい深い宝物であったこと。それを読んでくださる方と分かち合いたいという思いで作った本です。
ちゃっかり者の信徒の家の中にタケノコが生えた話とか、教会のおばあちゃんたちがクリスマスの献立を太巻きか細巻きかで揉める話とか、そんなものが載っています。
私自身の痛い経験や苦い思い出も容赦なく綴りました。全然かっこよくない毎日。しっかり生きている周りの人を見ては、ため息をつく日々。それでも、時々ハッと気づくのです。自分のついたため息よりも多く、神さまが自分に命の息を吹き込んでくださっていたことに。流した涙よりも多く、神さまが恵みの雨を降らせてくださっていたことに。泣いてもいい、逃げてもいい、生きることに下手くそになってもいい。それは惨めな場面ではなく、神さまの恵みがあふれる場面だったのだ、と。そうした、日常が神さまからの不思議な贈り物でいっぱいだったことに気づいた、その記録のような本です。
この本はありがたいことに、少なからぬ方々から感想をいただく機会に恵まれました。興味深かったのは、病院や施設で療養している方に持って行ってくださった方々がおられたこと。そして、疲れた牧師がけっこう読んでくれていたこと。どんな出来事もどんな人との出会いも、捨てたもんじゃありません。神さまがどこかにつながる取っ手を必ずつけていてくださる、そのことが少しでも伝わったらいいなあと思っています。
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『人生に無意味なことなどない─今を生きるコヘレトの言葉』
ところで、私は中学生のとき、初めて聖書に触れました。入学したのがキリスト教主義の学校だったのです。最初は礼拝や宗教科の授業で聖書を「読ませられていた」に近い感覚でした。
しかし、手持ち無沙汰にめくっていると時々おもしろい部分がありました。旧約聖書の「コヘレトの言葉」はそのひとつです。中学生と同じようなことを考えている人が大昔にもいたのだと、妙に親しみがわきました。世の中すべてに冷めているような、悟り切ったようなものの言い方。この世のあらゆる力を身につけても、人は所詮いつか死ぬ身であると言い切る潔さ。自分が漠然と抱える劣等感や不安を鋭い刃で断ち切ってくれるのが「コヘレトの言葉」でした。
今も、この不思議な書物は、折々に私を助けてくれます。『人生に無意味なことなどない 今を生きるコヘレトの言葉』は、柔らかく、やさしく、鋭い一冊です。「コヘレトの言葉」研究の第一人者である小友聡氏があらためて全訳した「コヘレトの言葉」とその解説が収められています。
まるで詩集のようなページのデザイン。そして、長くても見開き1ページ半の解説。わずかな時間であっても「これなら読めるかも」と思わせてくれ、実際に読んだらその豊かな内容に浸れる本です。
聖書学者として探求を続けてこられた小友氏が、誰もが親しめる言葉で描き出すコヘレトの世界。死という終わりがあるからこそ、人生には意味があること。限りある短い人生、明日をも知れぬ身であるからこそ、食べることや働くことが喜びとなること。コヘレトならではの一見冷めた眼差しは、絶望でも悲観でも虚無でもなく、あなたの現実をとことん生き抜けというメッセージであることを、この本から教えていただきました。
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『人間臨終図巻』

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『人間臨終図鑑』新装版
山田風太郎:著
徳間文庫
2011 年
文庫判
Ⅰ 448 頁 913 円
Ⅱ 464 頁 755 円
Ⅲ 464 頁 755 円
Ⅳ 480 頁 755 円
最後に、『人間臨終図巻』をご紹介します。もともとはお葬式で語る説教の参考にと買った本でした。人の死に際というものはここまで多様な物語があるのかと、本書の持つ不思議な魅力につい惹きつけられて読み進めたものです。
戦後日本を代表する大衆娯楽小説の大家とされる山田風太郎氏による全4巻の本書は、読書家の間では異色のノンフィクションとして知られています。
古今東西の著名人900名以上の「死に際」を享年順に記した本というのは、あまり例を見ないでしょう。他の伝記や人物事典とは違い、「死」という一瞬を通して人間像を鮮やかに浮かび上がらせています。英雄や作家、犯罪者に至るまで、選ばれた人物は多岐にわたります。
誰にでも訪れる死。いつどんな形で自分に訪れるかわからない死。享年別に書かれていることもあり、読み手の年齢や立場によって受け取り方が変わっていくでしょう。死に際の話でありながら、生きることを考えさせられるから不思議です。
例えば、私の今の年齢で生涯を終えた人としては、歌手のエルビス・プレスリーが紹介されています。彼は自宅で倒れているのを発見され、救急車でメンフィスのバプテスト病院に運ばれたものの、そのまま心臓発作で亡くなりました。彼は過労ゆえに入院を重ねました。また中年太りをおそれて薬づけになりました。彼のあとに現れた人気歌手を妬むあまりにテレビの映像を銃で撃つなど、激しい嫉妬に苛まれる晩年でもありました。死に至るまでの、プレスリーの烈しい日々に文章を通して触れるとき、大スターの最期は自分にとって遠いものではないようにも思えました。
命がけで働き、あまりにも重たいものを多く担って生きてきた先輩や友人。その人たちとの思いがけない別れが、胸に去来するのです。自分が普段いかに自分の命をいいかげんに扱っているかということもまた。
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「日常生活」と聞けば、ずいぶん平凡な言葉に思えます。しかし私たちの日常とは、今日一日命を神さまから与えられたというこれ以上ない奇跡であり、同時に限りある命のなかで人や社会の波に揉まれまくることでもあります。「日常生活」はたいへんな大冒険なのです。そうした中で自分の「生きる」を共に見つめてくれる本と出会えることは、少なからぬ助けであることを思わされる今日この頃です。















