
何で私はこんなに生き辛いのかと奥底で思っていたのでしょう。大学で心理学を専攻した私は、その年にキリストに出会い受洗。周りにも生き辛さを抱える方々が多く、三年次にはクリスチャン・カウンセラーを目指していました。翌年、牧者・教師としての主の召しを覚え、学びを心理学から神学にシフトしても、心の苦しみが起こる理(ことわり)を知れば少しでも助けにならないかと渇き続けました。
例えば「信仰によって」と言うなら、そこで言う信仰とは何か?実際に何が?少なくとも人間の側で起っているのか。信仰と心のイメージの誤用・混乱が起こす言わば二次災害を牧会的に防ぐためにも、せめて人間学的に高い精度で妥当する心の理が(例えば疫学の発展に類似して)提唱されているなら知りたい。そしてその理を神学したいと、副次的に認知科学や社会学また精神分析等を、細く長く本から学んでいました。
加藤常昭先生が紹介・訳されたF.G. イミンク『信仰論 実践神学再構築試論』(教文館2012)には、同じ途に導かれた先達がいたのだ、この方向で私も進んでいこうと、途上で見つけた道標のように励まされました。
その後『〈責任〉の生成─中動態と当事者研究』國分功一郎・熊谷晋一郎(新曜社2020)の中で、「自由エネルギー原理」の提唱者カール・フリストンを知りました。誰?と思いましたが、心に長く引っ掛かり、やがて関連書を読み漁りました。心の「信じる」理と、その病理を(人間学的に限定されますが)ここまで高い解像度で提示できる時代が来たかと衝撃を受けました。その内容を紹介する力も紙幅もないという言い訳しかできませんが、この先に新しく開ける、主の福音にお仕えする心の神学が、聖霊様に導かれますようお祈りいたします。
(のぐち・ゆきお=日本基督教団高知東教会牧師)














