著者独自の贖罪理解を示す
〈評者〉西原智彦
本書は、岩本遠億氏によるルカ福音書連続講解説教集の第四巻で、二一―二四章を扱う完結編である。十字架と復活を、人として完全な愛を貫いたイエスが悪魔に勝利した出来事として描く。ユダヤ文化を丁寧に説明し、自身の信仰体験を重ねる説教には、知性と情熱のうねりがある。
罪・死・悪魔に対する神の勝利を、古代教会以来の贖罪理解として再評価したのは、グスタフ・アウレン『キリストの勝利』(一九三一年)であった。他方、ルカ研究では、J・H・ネイリーが、オリーブ山の祈りをルカ四章一三節の「時が来るまで」が示すサタンの再攻撃として読み、S・R・ギャレットは、公生涯から昇天までを悪魔との継続的な戦いとして論じた。本書も第一巻以来、この主題を一貫して展開している。
第一巻では、荒野の誘惑を十字架回避の誘惑として捉え、第二巻ではペテロの信仰告白を、十字架によって悪魔に勝つメシアの啓示として読み、第三巻ではエルサレムへ向かうイエスを、死と悪魔に勝利する王として描く。こうして第四巻の主張は、全巻を貫く神学的到達点となっている。本書は説教集であると同時に、岩本氏独自の贖罪論を最も明瞭に示す一冊である。
ただし、岩本氏の贖罪理解は、アウレンのいう「神対悪魔」ではなく、徹底して「人対悪魔」である。「神がではなく、人が悪魔に勝たなくてはならない」(六七頁)、「生身の人間として、丸腰で悪魔の攻撃のすべてを身に受けて勝利しなければ」ならなかった(八一頁)と語り、迫害者のために祈り、愛し通した「完全な愛」に勝利の核心を見る。父なる神も、「人は悪魔に勝てる!」とイエスを信頼された方として描かれる。
この強調は、本書の独自性であると同時に、ルカ文書から吟味を要する点でもあろう。ルカ二四章六節の「復活なさった」は、ギリシア語では受動形であり、使徒二章二四節は「神はこのイエスを…復活させられました」と、復活を父なる神の能動的な業として語る。人としてのイエスの従順と愛を強調しても、その勝利は、父なる神によって「起こされた」復活と切り離せない。「信頼された」で終わる父神論が、ルカの復活理解を十分に表すかは問われるべきだろう。
一方、怖じ惑う弟子たちに対しては、イエスが神の子としての権威を放棄された以上、彼らが力を失うのも致し方ないとして、情け深い眼差しを向ける。イエスは彼らの弱さを受け止め、復活後も「私たちに合わせてくださる方」(一八四頁)として描かれる。岩本氏自身の聖霊体験も力強く、時にユーモラスであり、説教者の人柄を身近に感じさせる。
歴史背景には二つの留保が必要である。ヘブライ語ツェダカーの基本義は「義・正しさ」であり、第二神殿期に施しが義の代表的実践となっても、その原義を「施し」とするのは慎重であるべきだ。また、過越の四杯はミシュナに明記される後代の定型であり、その順序をそのままイエス時代へ遡らせることにも、慎重さが必要だろう。
それでも、人としてのイエスが暴力に暴力で応じず、完全な愛によって悪に勝つ姿を描き切る本書は、贖罪を抽象的教理としてしか受け取れなくなった読者に、実在的な福音の響きを届ける。ルカ文書の説教集が使徒言行録まで刊行されることを期待したい。














