存在を肯定する福音が響いている
〈評者〉森島 豊
本書は単に読むだけで終わらせるべきではなく、著者をキリスト教学校に招き、学生たちにぜひ直接語っていただきたい、そう強く感じました。「如何にすれば福音に対して明確な決断ができるように語ることができるか」(四二二頁)。その問いに対する応答が本書全体に貫かれています。
本書には、四〇年にわたり伝道者として歩み、そのうち三〇年間をキリスト教学校のチャプレンとして献げてこられた著者の経験と神学が凝縮されています。第Ⅰ部ではキャンパス伝道に向き合う姿勢と方法論が示され、第Ⅱ部ではその実践としての奨励や講話があり、第Ⅲ部にそれを支える神学的な論考が収められています。なかでも、学生たちに向けて語られた数々のメッセージは深く心に響きます。なぜならば、若者たちが抱える問いや葛藤を丁寧に言語化し、その問いに応答する聖書の言葉を、自然に受け止められる言葉で語っているからです。
特に印象深いのは、著者が世の不条理と真正面から向き合っている点です。東日本大震災をはじめ、若くして命を失った学生たち、社会に起こるさまざまな人災や災害に対し、著者は目を背けません。神義論的問いに対し、著者は「十字架の言葉」をもって応答します。その姿勢を最も鮮やかに示しているのが、礼拝メッセージ「答えから生きる」(一七八頁以降)です。高度に神学的でありながら、驚くほど平易な言葉によって、人生とイエス・キリストを新たに見つめ直させてくれます。どのメッセージにも一貫して「十字架のキリスト」が響いています。
また著者の言葉には、人間の心を鋭くえぐり出す力があります。しかしそれは単なる断罪ではなく、読者自身が納得しながら罪の現実を受け止められる語りです。たとえば「妬み」をめぐって、「エンビィー」と「ジェラシー」の区別から語り起こし、ギリシャ語の考察を通して、聖書全体が「妬み」に満ちた物語であることに気づかせます(四三頁以降)。その物語は、読者自身の現実を映し出す鏡のように響き、克服への道が語られるとき、自然と神へと目を向けさせています。
著者が学んだ大木英夫先生は、伝道者に「日本を神学する」ことを求めましたが、その視点は本書にも鮮明に表れています。たとえば、日本映画には主人公の死をもって終わる作品が多いことに触れながら、「『滅びの美学』と言われるような日本人特有の美的感覚」(二一〇頁)を指摘し、それが「死への誘いになってしまう危険性がある」と述べます。そして、それに対して「生きること」を肯定する感覚を持つことの大切さを訴えかけます。このメッセージは、不安定で揺れ動きやすい現代の若い世代にこそ深く響くものであり、そこで語られる聖書の言葉は力強い説得力を持っています。
ティリッヒ神学を土台に据えつつ、キング牧師の信仰理解に深く共感し、「存在を肯定する福音」を見いだそうとする本書には、現代日本のキリスト教会が必要としているものが豊かに詰まっています。現代において福音をどのように語るべきかを模索するすべての人に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。
















