大予言!!『その3』は必ず出る!!
〈評者〉塚本潤一
富田正樹著『戸惑いながら信じてる50──新型キリスト教入門 その2』は、前作『疑いながら信じてる50』からわずか二年半で刊行された続編である。しかし本書は、単なる第二巻ではない。前作がキリスト教への親しみやすい入口だったとすれば、本書は、その入口からさらに奥へと読者を導いていく一冊である。
著者自身、前作刊行時、装丁に「その1」と記されているのを見て、「え?第二巻を書くことになるのか」と戸惑ったという。しかし考えてみれば、「戸惑いながら信じてる」という題名は、著者自身の現在地でもあるのだろう。本書には、簡単に答えの出ない問題と向き合い続ける、一人の教育者であり牧会者である著者の姿が率直に刻まれている。
本書で扱われるテーマは重い。「死刑」「人工妊娠中絶」「安楽死」「臓器移植」「トランスジェンダー」「原発」など、現代社会に生きる私たちが避けて通れない問題ばかりである。しかも著者は、それらを単純な正義やわかりやすい結論へ回収しない。ここに本書の最大の魅力がある。
現代日本では、宗教はしばしば「正解を与えるもの」と受け取られやすい。しかし本書が行っているのは、その逆である。拙速な答えを提示するのではなく、「なぜこの問題に戸惑うのか」を読者と共に考えようとするのである。その姿勢は、キリスト教を知っている読者だけでなく、「自分は無宗教だ」と考えている人々にも開かれている。
著者は長年、キリスト教主義学校の教壇に立ちながら、同時に教会で牧会にも携わってきた。本書には、その二つの現場で積み重ねられた思索と対話の経験が流れ込んでいる。難解な問題を各章わずか数頁に整理しながらも、読者を置き去りにしない。その語り口は平明だが、背後には相当な学問的研鑽が感じられる。
特に印象深かったのは、「イスラエルとパレスチナの対立をどう考えるのか」という章である。読者によっては、「そこから議論を始めるのか」と感じるかもしれない。しかし著者は、あえて安易な“正解”を提示しない。「自分で掘り下げ、自分で考え、自分で答えを探していく」─その教育者としての姿勢が、本書全体を一貫して貫いている。
現代は、SNSや短い言葉によって、複雑な問題にも即座に「賛成か反対か」の態度表明が求められる時代である。しかし本書は、そのような時代の空気に抗うように、「簡単には答えの出ない問題の前で立ち止まること」の大切さを語っている。だから本書は、単なるキリスト教入門書ではない。「共に考えるとはどういうことか」を問い直す、一冊の対話の書でもある。本書を読み終えた時、読者の中に残るのは、「理解し終えた」という感覚ではなく、「考え始めた」という感覚だろう。それこそが、この本の持つ力なのだと思う。
そして本書三十三頁には、「疑いながら信じる」「戸惑いながら信じる」「悩みながら信じる」、それが信仰の実態なのだ、という趣旨の言葉が記されている。であるならば、このシリーズには、おそらくまだ続きがある。第三巻の題名は、きっと『悩みながら信じてる50』である。そんな予感を抱かせるところにも、本書の大きな魅力がある。













