現代の預言者の声を聞く
〈評者〉安酸敏眞
ついに待望の書が刊行された。本書はラインホールド・ニーバーのBeyond Tragedy: Essays on the Christian Interpretation of History (1937) の翻訳書であり、訳者はわが国のニーバー研究の第一人者であった故髙橋義文氏と、氏と二人三脚でニーバー研究を牽引してこられた柳田洋夫氏である。さすがは専門家の訳だけに、訳文は精緻で熟れている。
本書は全部で一五編の「説教的なエッセイ」(sermonic essays)を収録した随筆集で、切り口は実に多様でありながら、ただ一つの主題を取り扱っている。その主題とは、「時間と永遠、神と世界、自然と恩寵の関係をめぐるキリスト教の弁証法的な概念」にほかならない。著者によれば、キリスト教の人生観・歴史観は「弁証法的」(dialectical)であるという。
著者は、キリスト教のかかる弁証法的な歴史解釈を、「欺いているようでいて、真実である」「バベルの塔」「契約の箱と神殿」「四〇〇人対一人」「真の預言の評価基準」「究極的信頼」「幼少期と成熟」「キリスト教と悲劇」「苦難の僕と人の子」「価値転換」「力ある者と無に等しい者」「知識なき熱心さ」「裁きについての二つのたとえ話」「この世のものではない王国」「生の成就」という、一五のアスペクトにおいて縦横無尽に論じているが、その語り口は批評家のそれではなく、雄弁な説教者のごとくである。各エッセイを理解するのに、神学や哲学の特別な知識は要らない。読者は思わず知らず、見事な手さばきで紐解かれる聖書の世界に、まるで預言者か宣教者の言葉を直に聴いているかのように、引き込まれていく。
ニーバーの説教集としてはこれ以外に、『時の徴を見分けて』Discerning the Signs of Times: Sermons for Today and Tomorrow (1946)というものがあるが、この二つの説教集は代表作の『人間の本性と運命』The Nature and Destiny of Man (1941-43)や『信仰と歴史』Faith and History (1949)などで展開されている、ニーバーの「歴史の神学」を理解する上で、格好の手助けとなる。その意味では、本書はニーバー神学の最良の副読本といえよう。
すっかり失念していたが、筆者が最初に原書で読んだニーバーの書物は、実は『悲劇を越えて』であった。手元のペーパーバック版の裏表紙には、「1975.8.1. Fifth Avenue, New York」と記入してある。さすれば京大の修士一年の夏に訪米した際、ニューヨークの五番街の書店で購入したものであろう。ところどころに若き日の書き込みが見いだされるが、筆者はこの書を通じてニーバーの虜となり、やがて本格的なニーバー研究に従事することになった。
翻訳書で読み直してみると、当時は見落としていた多くの発見があり、神学者としてのニーバーの偉大さを再認識することになった。それとともに、「現代の預言者」とか「アメリカからの預言者」と評される彼の「宗教的・社会的・政治的思想」の精髄に触れ直した思いがする。著者が本書で力強く説くように、キリスト教信仰は悲劇を越えており、われわれに悔い改めを促すとともに希望をもたらす。本書は、混迷を深める現代の歴史状況を聖書的・神学的に省察するための第一級の手引書であって、掛け値なしにお薦めできる珠玉の逸品である。
安酸敏眞
やすかた・としまさ=北海学園大学学長