聖書が語る「愛」を丁寧に追う平易かつ専門的な一冊
〈評者〉辻 学
キリスト教においては愛がよく語られる。だが、聖書が愛についてどう述べているかを聖書全体にわたって調べようとすると、意外と手頃な書物が見当たらないことに気づく。ドイツ語や英語でも良ければ、キッテルの有名な『新約神学辞典』(ThWNT)をはじめとする事典類はあるし、愛を主題にした専門書も外国語なら存在する。だが、日本語となると、なかなか適切な文献がない。『旧約新約聖書神学事典』(教文館)は便利だが、聖書本文の詳細な分析は見られない。
その欠けを補う良書を、このたび原口尚彰氏が公刊してくれた。本書は、愛を主題として旧約聖書から初期ユダヤ教文書、そして新約聖書を概観する試みである。まず第1章では、旧約聖書において愛がさまざまな人間関係(恋愛、夫婦、親子、兄弟、友人)の中で描かれていることを示し、さらに神の愛が「選び」「救い」「憐れみ」「慈しみ」といった表現で示されていることを、聖書の箇所をていねいに挙げながら論じている。愛はまた神からの戒めでもある。神への愛(申命記6・4〜5)と隣人愛(レビ記19・18)が、神の愛に応えるイスラエルの責務であることも、この関連で示されている。
旧約外典・偽典、死海文書やアレクサンドリアのフィロン、さらにラビ文献といった初期ユダヤ教文書の中で愛の主題がどのように展開されているかをたどる第2章に続いて、第3章では新約聖書における愛の主題が多くの頁を費やして検討されている。古典ギリシア語においては、「愛」がもっぱら「エロース」と「アガペー」、「フィリア」という名詞(とその動詞形)によって表されるが、著者はさらに、愛の関連語として「憐れみ」や「同情」といった概念にも目配りしつつ、新約聖書の諸文書(福音書、ヨハネ書簡、パウロ書簡、コロサイ、エフェソ、ペトロ、ヤコブといった新約後期書簡)を取り上げていく。各項目の最初に「語学的考察」が置かれ、愛に関する用語の使用頻度が提示されているのは、いかにも釈義の基本を重視する著者らしい。福音書の分析では、物語の中で描かれる愛にも注目し、単なる概念のみならず、行為としての愛という側面も強調されている。ガリラヤ湖畔で復活のイエスとペトロが愛をめぐって対話する場面(ヨハネ21章)で、アガパオーとフィレオーが交錯する点に著者が特別な意図を見て取っているのは興味深い(81頁。新共同訳や聖書協会共同訳はいずれの動詞も「愛する」と訳している)。
聖書および関連文書において愛がどのように描かれているかを、統計や本文の分析に基づいて一つ一つ論じていく本書はさながら、愛に関する「日本語版新約神学辞典」のようである。著者独自の仮説に基づいた議論の展開もなく、全体に叙述は抑制された調子で展開されている。しかも、時として専門的な内容に踏み込んでいるにもかかわらず、文章は平易で、聖書釈義に通じていなくても十分に内容が理解できる。一方、さらに踏み込んだ議論を期待する向きには、脚注で研究文献が紹介されているので、そこから考察をさらに深めていくこともできるようになっている。
著者に聞いたところでは、本書は神学校における授業内容に基づいているとのことで、授業の充実ぶりもうかがえる。教会や学校等で、聖書が語る「愛」を学ぶ際に、基本の文献として活用されることをお勧めしたい。分量も価格も手頃で、手元に常備しておきたい一冊である。
辻学
つじ・まなぶ=広島大学教授