八〇代の青春を生きる著者から全世代に向けたメッセージ
〈評者〉松本敏之
著者は、1940年生まれの85歳(出版時)。約40年間、早稲田教会の牧師を務めた後、3つの教会の牧師を歴任した。著書には、5冊のメッセージ・エッセイ集の他、近年では、『夕暮れに、なお光あり』(キリスト新聞社)という共著もある。本書を読んで、「老いてますます盛んなり」と思った。「創」という漢字を使われるあたり、これから何かが新しく始まりそうな予感もする。
一応(?)隠退されたが、「上林節」を聞きたいファンも多く、今でも招かれてあちこちで説教をされている。ネットで聞ける説教で、「職業欄に『無職』と書くことがだんだん寂しくなり、『フリーター』と書いている」と語られていて、「上林先生らしいな」と思わず笑った。
聖書からではなく、日常的な事柄やニュース、一般の書籍から入り、ユーモアを交えながら、聖書の真理、福音の神髄へと導いていく展開は、健在であり、絶妙である。
最初の章では、日野原重明氏が著書『老いを創める』で「老人になる四つのタイプ」として「抵抗型」「不平不満型」「自己嫌悪型」「しなやか型」を挙げていることを紹介しつつ、著者自身は「おんぶに、だっこ型」を勧める。面白い表現だが、それは「あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう」(イザヤ書46・4 聖書協会共同訳)という言葉に根差している。「神さまはそんな私たち高齢者を担い(だっこし)、運び(おんぶし)、ずっと先まで『背負って』くださるのです」「なんとも虫のよい話ですが、これほど安全で安心なことはないのです。神さまにすべてをゆだねる。老人にはいちばん楽なことでしょう」と述べる。
「生老病死を生き抜く」の章では、永六輔氏が著書『大往生』で「お釈迦様は安らかに大往生ですよね。……キリストの死に方は痛そうでねェ」と述べていることから始まり、「キリスト教的『大往生』とは諦念ではなく、老、病、死の悲惨と苦しみに直面しつつも、なお新しいいのちへの希望を抱きつつ迎えるものなのです」と締めくくる。
「イエスと同行二人で」の章では、四国のお遍路さんから「エマオ途上のキリスト」(ルカ24・13~35)を語り、「主が与え、主がとられる」の章では、まっすぐに「かずこさん」の苦難の生涯を語りながら、「万事を益となるようにしてくださる」(ローマ8・28 口語訳)神が示される。
「亡き人を思いつつ」では、墓地を歩いて見つけた面白い墓石を次々と紹介するのだが、最後に随分前に亡くなったお母さんのことに触れ、「私も85歳を過ぎました。天国に行ったときには、真っ先に探すのは(イエスさまではなく?)『お母さん』のような気がします」と本音を語る。
最後に平和を語ることも忘れない。かつてイスラエルを旅行した時、ガイドがイスラエル人の女性で、バスの運転手がアラブ人の男性であったという。その二人が仲良く食事をしていたことが「平和の象徴」であるように思えたと述べ、今、「荒れ野と化しているパレスチナの地にイザヤの預言が実現されることを切に祈りたい」と結ぶ。
80歳代の方々だけではなく、私のように高齢者の入り口にいる人たちや若い方々にも読んでいただきたい。わかりやすく、読みやすいので、入門書としてもふさわしい。

















