地域教会に仕える牧師として、三つの〈全体〉を大切にすることを心がけて奉仕を続けて今に至っています。一つ目は「聖書」の〈全体〉を説き明かすみことばの説教を大切にすること、二つ目は「群れ」の〈全体〉に心を配る牧会のわざを大切にすること、三つ目は「神の救いのご計画」の〈全体〉を余すところなく伝える伝道と教育の働きを大切にすることです。特に三つ目については、礼拝や求道クラス、諸集会で繰り返し教理を学ぶことを続けて来ました。
教会は神のみことばによって建てられ上げられていくものですから、聖書に聴くこととともに、教会を建てることばを身に着けることに意を用いてきました。その際に特に大切にしてきたのが、信じることばとしての「使徒信条」、祈ることばとしての「主の祈り」、生きることばとしての「十戒」のいわゆる「三要文」を繰り返し告白し、祈り、唱え、学び続けることでした。
実際に取り組み続けて来て思うのは、「主の祈り」はマタイ福音書やルカ福音書に、「十戒」は出エジプト記や申命記にと、それぞれ「聖書」にあることばですから、それを学ぶことや祈ること、唱和することへの動機づけは自ずと明らかですが、「信条」のことばを教会が身に着けることの動機づけは必ずしも自明ではないということです。
教会なしに信条は生まれませんでしたし、信条なしに教会が建つこともなかったのですが、その意義が今も生き生きと受け継がれているでしょうか。もちろん使徒信条に親しみ、ニカイア信条を重んじている教会が多くあることを存じていますが、しかし信条のことばへの理解やその歴史的な意味、教会にとっての信条のことばの持つ必然性などは繰り返し明らかにされていく必要があるでしょう。その点で信条のことばは告白されるだけでなく、説き明かされる必要があり、学び続ける必要があります。そうした営みの継続の中で「われ、信ず」、「われらは、信ず」という告白が、いっそう自覚的で主体的で告白的な教会を建て上げていくだろうと思うのです。
教会の皆さんによくこんなことを話します。「からだの健康維持には足腰を鍛えることが大切。歳を取ってくるとまず足腰が弱ってくる。キリストのからだも同様。やはり教会の信仰の足腰を普段から鍛えましょう。躓きの事態は避けられない。でも躓いてよろめいたときにそのままバッタリ倒れ込んでしまうか、そこで二の足が出て踏ん張りが利くかが大きな違い。次の足が出てしっかり踏みとどまれるような信仰の足腰を鍛えましょう」。こうして地味に地道にコツコツと信条を学ぶことを続けて来ました。
また、かつて神学校で「信条学」の講義を担当していた時には、次のように繰り返していました。「信条は教会の信仰と教えの歴史のエッセンスがギュッと詰まった乾燥ワカメのようなもの。そのまま囓っても味気ないかもしれないが、水に戻せば膨らんで豊かな味わいが出る。信条を豊かな生きたことばとして教え説くには、まずその蓄積に学ぶ必要がある」。私自身も貧しいながらもこの確信に立って、これまでお仕えしてきた教会で信条のことばを説き、ともに学び続けて来ました。『ニカイア信条を読む』、『ハイデルベルク信仰問答を読む』、『バルメン宣言を読む』(いずれもいのちのことば社刊)はそのささやかな記録です。
『クレド──キリスト教の伝統における信条と信仰告白の歴史的・神学的入門』

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『クレド──キリスト教の伝統における信条と信仰告白の歴史的・神学的入門』
J. ペリカン:著
本城仰太:訳
教文館
2025 年刊
A5 判
784 頁
9,460 円
とはいえ「言うは易し行うは難し」で、信条を学び、説くというのは容易なことではありません。腰を据えてじっくり学びに取り組むこと、そしてよい手引きやお手本から習うことがポイントです。そこでオススメしたい一冊目は、碩学ヤロスラフ・ペリカンによる『クレド キリスト教伝統における信条と信仰告白の歴史的・神学的入門』(教文館、2025年)です。いきなり本文だけでも700頁近い大著で面食らうかもしれませんが、古代の基本信条(公同信条)から宗教改革期の信仰告白、信仰問答、そして近現代の信仰宣言など、教会の歩んで来た歴史の全体を俯瞰しつつ、信条を生み出してきた教会のリアリティーと、教会を生かして来た信条の生きたアイデンティティーを総合的に論じる本書は、信条を学び説く上で必須の書物です。
訳者の本城仰太先生が訳者あとがきで「本書は速読するには不向きである。ペリカンの議論をゆっくり丁寧に追いながら読んでいけば、得るものが非常に大きいだろう」(676頁)と記しておられるとおり、特に第一部から第四部第14章あたりまでを熟読すると、正典・信条・職制の内的連関や信条形成史など、信条学の基礎的な学びに有益です。同書とセットで編まれた全三巻の英訳信条集を手もとに置くと、より包括的な学びとなるでしょう。
『クレド〈わたしは信じます〉──キリスト教の信仰告白』
こうした基礎的な学びを踏まえつつ、良い手引きやお手本に習うにあたってオススメしたい二冊目が、古代教父神学の専門家として数々の貴重な言葉を翻訳してくださっている小高毅先生の『クレド〈わたしは信じます〉キリスト教の信仰告白』(教友社、2010年)です。全体は「第一部 信条の形成」と「第二部 信条の伝えるもの」の二部からなり、第一部では使徒信条、ニケア信条、ニケア・コンスタンチノーブル信条の形成史、第二部では信条の内容が三位一体論を軸に説き明かされていきます。
日々の伝道牧会に追われてなかなか深い学びにまで至れないジレンマを抱える牧師にとってありがたいのは、古代教父の専門家である小高先生ならではの縦横無尽に引用される古代教父たちのことばの数々。一つの信条的表現の背後に控える膨大な歴史的・神学的議論が教父たちのことばによって紹介されています。信条のことばが信仰と教えのエッセンスなら、それを説き明かす同書もまた貴重な古代教会史・教理史のエッセンスの詰まった一冊と言えるでしょう。
『使徒信条講解』
最後にオススメしたい三冊目は、新約学の大家クランフィールドによる『使徒信条講解』(新教新書、1995年)です。「三要文」を説くもの、とりわけ「使徒信条」を説き明かす書物は日本語になっているものだけでも相当数に昇ります。その中でも本書は133頁のコンパクトな新書ですが、小さいからと侮るなかれ。名人の熟練したわざの詰まった名著で、繰り返し読んで味わうのに適した超オススメの一冊です。第1章の「使徒信条の起源と重要性」で緒論的な事柄が扱われますが、特に目を引くのが次の一文です。
「1933年以前のドイツでは、プロテスタント教会において、牧師だけが礼拝で使徒信条を唱えることが一般的であった。しかし、1933年以降は、会衆が信条の唱和に加わり始めた。教会員たちは、教会に対するナチの攻撃に直面して、自分たちの信仰を個人的にも公にも告白するために、そうすることを望んだのである。異なる伝統や言語、国家をもつキリスト者、さらには異なる世代や世紀のキリスト者をひとつに結びつけるものは、いかに優れていようとも、個人や教派あるいはキリスト者のグループによって作成された特別な声明であるよりは、使徒信条という、より効果的で力のある媒体なのである」(11頁)。
第2章以下では全部で12の章で使徒信条が説き明かされます。各項目の説明は聖書に即し、教会の歴史を踏まえ、宗教改革時代の信仰告白を用いつつ、現代の諸課題とも切り結ぶ見事なもので、著者クランフィールドの聖書学者のみならず、神学者、牧会者、信仰者としての姿勢が如実に表れています。読者は本書を通して教理を学ぶことが、今の時代を生きる上でいかに重要であり、またいかに大きな助けになるかを知ることができるでしょう。
昨年はニカイア信条1700年の記念の年でした。困難な時代にあっても確かな足取りで福音の宣教に生きるために、あらためて教会が聖書のみことばに聴き、また聖書に聴き応答してきた教理のことばに聴き続ける姿勢を自覚的に身に着けたいと思います。その際に、基本信条に取り組むことは、キリストのからだにとっての大事な体幹トレーニングです。教会のことば、信仰にことばを繰り返し味わうことで、知らず知らずのうちに信仰の体幹が強められ、足腰がしっかりし、確かな足取りで歩んで行く元気と勇気がわいてくるはずです。思い立ったらその日から。ぜひ学び始めましょう!






















