戦後復興を支えた日米越境者たちの記録
〈評者〉辻直人
今や、町や駅で外国人と遭遇しない日はないくらい、日本社会には異文化から来た人たちが溢れている。すれ違いざまに聞きなれない言葉が飛び交い、まるで日本とは思えない錯覚に陥ることもある。それだけ日本社会も多様な文化との接点が多くなったことを肌で感じる。国際化は時代の趨勢でもあり、どのように他文化と共生していくのかが問われている。
こうした課題は今に始まったことではない。敵国として激しい戦いを繰り広げた日米両国の関係を戦後どう立て直していくのか、重たい課題に正面から真摯に取り組んだ人たちがいた。本書は吉田亮氏を中心とした同志社大学人文科学研究所の共同研究の成果で、日米の「和解」者として活動した「越境者」たちの様々な取り組みや奮闘ぶりが描かれている。全一四章と特別寄稿一章で構成され、プロテスタントの活動が中心ではあるものの、カトリック(第8章)や仏教界の動き(第9章、第14章)に関する論文も収められている。本書の研究で特に着目されているのは、両国の「和解」と「自主性」である。
戦中アメリカでは、西海岸在住の日系人が強制収容されたことはよく知られている。収容されていた日系人からは、日米キリスト者の支援は自分たちの「自主性」を剝奪しているとも指摘された(一八頁)。というのも、彼らの支援は「アメリカ社会に『社会統合』するにあたっての支援事業であり、日系キリスト者が白人教会に同化融合することで人種主義を克服し、アメリカ社会の民主化を完成させるという」発想(一一頁)だったからだという。こうした発想は戦後占領期になって、GHQ/SCAPやマッカーサーらの日本統治政策においても見られた(一八頁)。
しかしこのようなアメリカ側の態度に対し、例えば本書で紹介されている元宣教師のチャールズ・アイグルハート(第2章)は、信仰により国同士の隔てを超越しようとした。彼は、日系人への差別行為は「アメリカの価値観に反する」として強制収容に反対(六三頁)。更に、「人と人を分断する人工的な境界、すなわち人種や国境という人工的な枠組みから自由でないことが戦争の原因」(六五頁)と主張した。人を隔てる枠組みを超えた人間同士の和解と平和を、キリスト教信仰に基づいて模索した人物だった。
戦後、同志社教育顧問として招聘されたルース・イザベル・シーベリー(第5章)は、「本能的国際主義者」とも呼ばれた人物である。彼女は「世界キリスト教徒(WorldChristian)」として「世界平和達成と人権的偏見排除」に自らの使命を見出していた(一二一頁)。
本書に登場する人々は、戦争により生じた差別や対立を乗り越え、国籍や民族を超えた人的ネットワークの構築を目指している。本書でもよく「国際主義」と言及されているが、国境は超えても、ナショナリティは超えられるのか。文化や民族の間に強弱や上下の関係がない対等の関係は、どうしたら生み出されるのだろう。
しかし現在、世界宗教であるキリスト教も一国主義的立場に収まってしまっている傾向も見られる。このような時代、越境者的生き方の可能性に目を向けさせ、枠を超える生き方に目覚めた人たちに本書は勇気を与えてくれる。













