パウロの黙示的世界観を知るための必読の書!
〈評者〉河野克也
二〇世紀以降のパウロ研究の全体像を摑み、さらに議論を進めるための最良の手引き書が日本語で読めるとはなんと嬉しいことか。本書は原書著者、日本語訳者それぞれが丁寧に作業し、隅々まで行き届いた理想的な書である。冒頭には著者を含む複数の専門家による序文や紹介文、巻末には丁寧な「解説」と「訳者あとがき」があり、本書の意義が幾重にも強調される。日本語訳は正確で分かりやすく、要所要所で鍵となる単語や表現、背景などの説明が〔 〕で挿入されることで読者は頁から目を離すことなく、スムーズに読み進めることができる。
本書の構成は、「黙示(的)」という言葉をめぐる短い「序論」に続いて、第Ⅰ部「研究史」ではパウロを黙示的神学者とする解釈をその起源から解き起こし(第1章)、その理解がどのように展開していったかを辿り(第2章)、さらにその展開における新約聖書学の視点と組織神学の視点との対話の概要を描く(第3章)。続く第Ⅱ部「展望」では、第4章「黙示的パウロをめぐる未解決の問い」において、第Ⅰ部で紹介した研究者たちとの批判的な対話を通して、さらに議論を深めるべき領域を浮き彫りにし、第5章「学際的観点から見たパウロの黙示神学」では、カール・バルトの神学との親和性を体系的に描き出しつつ、著者自身の貢献を提示する。
「序論」で紹介されるとおり、黙示(文書/思想)をめぐっては、その意味内容についての混乱が指摘されたことを受けて、第二神殿期ユダヤ教における「黙示録/黙示文書」各書の内容を正確に反映する定義が目指された。その中で、終末論を本質的な要素とするか、啓示を本質的な要素とするかで大きく二つの方向性が見られることを指摘しつつ、著者自身は終末論を本質とする理解がパウロ研究においてなお支配的である状況に危惧を示す(本書六二、一二三─二六頁参照)。しかし著者は、第Ⅰ部においてこうした分かりやすい分類を使って研究史を概観するのではなく、時系列的に主要な研究者を丁寧に誠実に紹介する仕方で議論の展開を辿るやり方を選択する(一二─一三頁)。それは読者には一定の負担を強いることになるが、しかしそれこそが学術的議論の本質である。
その上で、本書の最大の意義は第Ⅱ部にあることを強調したい。第Ⅰ部で紹介された各議論から重要な争点を読み取り、それがパウロ研究のみならず神学においてどのような影響を持つかを、認識論、終末論、救済論にわたって提示する著者の論述は、黙示の本質を啓示と見る見方を反映し、的確かつ刺激的である。罪/悪を神に敵対する霊的実在とする黙示的理解において、人間の側の責任をどう捉えるかが重要な争点となるが、著者は罪の起源を霊的実在に置く理解が決して人間の責任を不問に付すものでないと強調する(一五六─六六頁参照)。この点については、訳者の岡谷和作氏がすでに優れた論考を発表している(「『律法違反』と『諸力』:罪論の包括的理解を目指して」『福音主義神学』54号[二〇二五年]一四九─七〇頁)。
バルト神学との対話など他にも語り尽くせない魅力に満ちているが誌面が尽きた。最後に、本書の最強の翻訳チームに心から賛辞を送りたい。
















