盆栽ではなく、大木
〈評者〉藤本 満
著者は、オーリストラリア国立大学で言語学博士論文のためにパプア・ニューギニアでの研究の傍ら、福音を伝えた宣教師であった。現在は神田外語大学大学院で言語学の教授、単立「キリストの平和教会」の牧師である。多彩な活動、柔軟な理解、真実な体験、喜びと祈りと感謝の人のゆえに『366日元気が出る聖書のことば─あなたはひとりではない』(ヨベル、二〇二〇)は、広く用いられている。
本書は著者の自伝であるが、現代キリスト教会に最も必要とされる使信─十字架に現された神の愛、聖霊による生けるキリストの現実的体験─を紐解いている。本書に、青年時代の著者を誤った方向へと導こうとした人物に、著者の母親が宛てた手紙の一文が記されている。「私たちは、子どもを大木になるように育てて来ました。盆栽にしようとはしないでください」(94頁)。まさにそのように大海原にこぎ出そうと、小舟を砂浜から波際に押し出している少年が、本書の扉をカラーで飾っているのが印象的である(和紙ちぎり絵作家・森住ゆきさん)。
本書を読み終えて、旧約聖書のヤコブの言葉を思い起こした。「今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」(四八・15)。ヤコブは、神が父イサク・祖父アブラハムの神であったことを添えている。神は著者の生涯のあらゆる場面で共におられ、助けを送ってくださった。その神が祖父とともに、両親と共におられたことから本書は始まる。
祖父(義理)は、原爆で焦土となった長崎で神の声を聞いた。「恐れるな! 進め! 汝を助くる者多し」。そこから長崎製鉄所を復興した。神のこの声は、著者の家系に響いている。『366日元気が出る聖書のことば』の副題は、「あなたはひとりではない」である。そして本書の副題は、「神は見捨てなかった」である。いや、そればかりか、神は折りにかなって「助ける者」を送りつづけてくださった証しである。
東京学芸大学・国際基督教大学大学院で言語学に魅了され、オーストラリア国立大学で博士論文を書くためにニューギニアの奥地で研究、帰国しての長老教会での教会生活、お茶の水でのミッション・エイド・クリスチャン・フェローシップでの働き、キリストの平和教会の開拓と、著者を助ける者がいつも神のもとより送られてくる。そして、最大の助け手は、大学時代に出会い、後の伴侶者となる横山あずささんであった(105頁)。
本書を通して理解できる、著者の生涯的な強調である「十字架・生けるキリスト・聖霊体験・祈り」が手島郁郎から来ていることが。著者「遠億(エノク)」は手島の命名による。手島没後、一家は「原始福音・神の幕屋」の変容を批判して離れる。しかし、手島が病者に神の愛を届けたように、また著者が少年時代にモロカイ島のハンセン病施設に生涯をささげたダミエン神父にあこがれたように、著者のニューギニアでの研究の月日は、マラリアに冒された村民のためにも注がれた。神の愛を伝え、自分が所持していたマラリアの予防薬・治療薬クロロキンを与えているうちに、もってきた薬の瓶が空になってしまう。そこにまた、神は助け手を送ってくださる。まことにスリル満点に描かれている。
藤本満
ふじもと・みつる= インマヌエル高津教会牧師