今こそ主、求めよ
〈評者〉嶋田順好
本書には先天性大脳白質形成不全症という稀少難病に十五歳でかかり、奇しくもイエス・キリストとほぼ同年齢の三十三歳で、御許に召された福本峻平さんの神と人とに愛され、神と人とを愛した生涯が綴られている。
読了した後に、峻平さんの人生が、序章のエピグラフに用いられていた彼自身の暗唱聖句「いつも喜んでいなさい」で始まるテサロニケの信徒への手紙一五章十六節~十八節の御言葉そのものであった事実に胸を打たれる。同時にヘブライ人への手紙十一章四節「“峻平”は死にましたが、信仰によってまだ語っています」ということを痛切に思う。彼の語りは、必ずや彼と出会ったすべて者たちが、各々の地上の生涯を終えるまで、生き生きと聞き続けられるに違いない。
不思議に思うことは、小学校までは「ヴァイオリン好き」「鉄道ファン」「漢字博士」「理屈や」「負けず嫌い」の少々気難しげな少年が、聖学院中学校に入学し、礼拝レポートの課題のために常盤台バプテスト教会の教会学校に出席してからは、驚くほど自然に教会になじみ、神の愛のなかで自分を愛し、隣人を愛する者へと変えられていったことである。彼の生涯を思い巡らすと、まさに「君は愛されるために生まれた 君の生涯は愛に満ちている」ということをアーメンと唱えずにはいられなくなる。
この病は筋萎縮性側索硬化症と似た症状を呈し、全身の筋力が次第に麻痺し、自由が利かなくなる過酷な病である。治療法が確立されていない現在、症状が進行することはあっても、良くなることは望めない。峻平さんは十五歳で発症し、この病気を契機に洗礼へと導かれた。高校卒業時には、すでに車いすの生活となり、大学二年の一月には嚥下障害のため胃ろう手術を受け、同年九月、咽頭気管分離手術を受けて声を失った。にもかかわらず「『外なる人』は衰えていくとしても」彼の「『内なる人』は日々新たにされていく」(二コリント四・十六)ことを、身をもって証し続けたのである。
キリスト者推薦生として青山学院大学経済学部に進学し、意欲的に学び、青山キリスト教学生会では常に笑顔を絶やすことなく「会輪」の中心であり続けた。そのことを通し、多くのキリスト者の友に、彼が作詞した讃美歌「今こそ主、求めよ 今こそ主、求めよ 主イエスの 御救い 今こそ主、求めよ」との圧倒的な感化を与え続けたのである。
苦難のなかで主にあって動かされず、地上の生の限りは主のご委託に応えて・命を使う・歩みは貫かれ、大学卒業後には教会事務職員となり、東京バプテスト神学校の通信講座を受講し、「障がい者と教会委員会」委員などの職務も担い続けた。彼のひたむきな歩みは、キリスト者のみならず、帝京大学医学部附属病院の医師、ナースたち、また介護者の方々にも大きな感化を与え続けたのである。
事実、難病や多くの世の試練に遭遇し、苦難の中で求道している方々に、キリスト教学校の教師であることに問いを抱き、途方に暮れている方々に、そして「今こそ主、求めよ」と大胆に告げることに躊躇を覚えている牧師の方々に、ぜひとも手にとって読んでいただきたいと願う。
嶋田順好
しまだ・まさよし=日本基督教団三田教会牧師