多くのさざ波から生まれた大波としてのキング
〈評者〉島田由紀
キリスト教主義学校でのキリスト教概論や聖書の時間において、キング牧師を扱う場面は多いだろう。中学や高校の英語の授業でキングの「I Have a Dream」演説の有名なくだりを暗唱した、という学生が多くおり、大学のキリスト教概論でキングの言葉や訴えの背後にあるキリスト教信仰の話を知って驚いた、という話も耳にする。同演説は、キングのカリスマにより20世紀アメリカを代表する名演説として一般にも知られており、現在でも傑出した知名度と説得力を保っている。
ただ、1963年のワシントン大行進における「I Have a Dream」演説は、キングの(暗殺により断たれた)長くはない牧師・公民権運動家としての生涯のハイライトではあるものの、彼の濃密な活動期間の一段階にしかすぎない。また、キングの存在そのものが、大小さまざまな黒人解放運動や黒人信仰共同体での霊性形成の数多くの波のなかから生み出されたものであることは、アメリカ黒人の歴史を扱う研究者の多くが注意を促すところである。
本書は、ワシントンDCでの「I Have a Dream」演説とそれに直接連なる「アメリカの夢」をテーマとするキングの説教等に注目するが、同時に、若い牧師キングを公民権運動へと引き込んだモンゴメリー・バス・ボイコット運動、非暴力運動と強権的弾圧がテレビ映像を通じて可視化されたバーミングハムでのデモ運動、また、当局の弾圧によって流血の惨事に至り公民権法支持へ世論を喚起しつつも非暴力運動の退潮にもつながったセルマ行進といった、「I Have a Dream」演説の前と後のキングの主要な活動とその時期の思想をも丹念に跡づけている。そして、キングの生涯に通底するキリスト教信仰とキリスト教を基盤にしたアメリカ民主主義への献身を忠実に描き出している。
さらに、本書の最初の二章ではキングと同時代を生きた二人の女性に焦点があてられる。一人は日本では比較的知られていない作家、エッセイスト、雑誌編集者のリリアン・E・スミス、もう一人はモンゴメリー・バス・ボイコット事件のきっかけとなったローザ・パークスである。本書においてたびたび指摘されているように、キングの公民権運動は相対的に男性中心に進められ、もっとも重要な局面において女性はリーダーシップから排除されていた(各地の公民権運動の草の根の広がりには、多くの女性の縁の下の活躍があったことが知られている)。扱われる二人の女性がキングの思想と活動の枠組みに直接的に大きな影響を与えたのでなくとも、人種により分断された社会の共生を目指すキングが起こした大波が、より無名のさまざまな波と共鳴しそのうえに渦巻いていたことが、これらの二章から看取される。たとえば、スミスの人種間平等の強調(20世紀前半まで猛威を振るった社会的ダーウィニズムへの正面からの否定)や社会変革における教育と法律双方の重要性の主張、また、黒人の教育が等閑視されていた時代にパークスの受けた職業人としての自律と尊厳の教育と教会に根差した信仰との結びつきなどは、キングの主張にも表れると、本書は解き明かす。
「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」が叫ばれるいま、キングの遺産を見直す際に手に取りたい書である。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
そのキリスト教と民主主義
森田美千代著
A5判・206頁・2970円(税込)・聖学院大学出版会
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島田由紀
しまだ・ゆき=青山学院大学宗教主任・准教授
- 2021年12月1日