「福音と宣教」に責任を持つ人々の必読書
〈評者〉西原廉太
本書は、桜美林学園のキリスト教教育に従事するチャプレンたちが、学園主導の周年事業とは別に、独自に計画、出版したものである。桜美林学園の創立者、清水安三をキリスト教神学の視点から立体的に考察した先行的作業はこれまでになく、単なる創立者賛美に留まらない「人間・清水安三」を生き生きと浮き彫りにしている。
第一章では、安三の生誕から受洗までの歩みを丁寧に辿る。安三が育った厳しい家庭環境と、彼の人生を変えたウィリアム・メレル・ヴォーリズとの出会い。とりわけヴォーリズの「からし種」のように小さくとも神を信じる信仰を持って行動することへの確信は、安三にもしっかりと受け継がれている。それは、清水安三の桜美林教会礼拝における以下の言葉にはっきりと表現されている。「同志社の石ころでも新島先生になれる。からし種一粒ほどの信仰があれば何でも出来ます」。この「からし種」「石ころの精神」は、その後の安三の一貫してぶれることのない原理となった。
第二章は同志社時代の清水安三の信仰と神学の形成を論じる。安三にとって新島襄の生き方は「夢」であった。しかしそれは、新島の才能への憧れではなく、神が石ころから起こした者として、自らの生涯と理想的に重ね合わせるものであった。安三の自由主義神学的、包摂主義的側面、中江藤樹への共鳴等に言及しつつ、彼の中には神と人との関係の超越性に基づく罪性、劣等感から救われたという信仰が存在したことが明らかにされる。
桜美林学園は昨年百周年を迎えたが、それは清水安三が一九二一年に中国北京において崇貞学園を創立したことを起点としている。第三章では、実に二二年以上に及ぶ安三の中国での働きについて記述する。安三は、北京・朝陽門外の貧しさと苦難の内にある女子たちの人権・自立・教育のために崇貞学園を創設した。その精神は、清水安三の生涯を貫く生き様であった。日本が中国で植民地を拡大し、横暴なる侵略・支配を繰り広げた中にあって、徹底して中国の人々に寄り添った安三は、確かに驚くべき本物の国際人であった。
清水安三は一九二四年に二年間、米国オーバリン大学に留学している。第四章は、この米国留学時代に形成された神学が何であったのかを、批判的にも検討する。安三は、歴史的に抑圧されてきた黒人が背負う十字架の意味を十分には理解し得ていなかったのではないかという指摘は、一方で重要な視点を提供する。
第五章では、敗戦直後、中国から引き揚げて一週間も経たない間に、淵野辺の地に土地と建物を借り、桜美林学園を設立した清水安三の熱情と尽力が豊かに語られる。安三の桜美林学園創立を物心共に支えたのは、実にあの賀川豊彦であった。
「稀代の教育者であり宗教家であった清水安三」。「あとがき」を執筆した前桜美林大学学長、広島女学院院長・大学学長の三谷高康は、こう清水安三を表現する。
本書を最初から最後まで読み通した者は皆、清水安三はまさしく「稀代の教育者であり宗教家であった」ことに同意するだけではなく、安三という人物についてはより知られるべきであると確信するに違いない。キリスト教教育関係者はもちろん、日本という地における「福音と宣教」に責任を持つ人々にとっての必読書が、〈今・この時〉に出版されたことを心から感謝し、喜びたい。
西原廉太
にしはら・れんた=立教大学総長