Z世代とは、一九九〇年代中盤から、二〇一〇年生まれ、ネットやSNSとともに育った「デジタルネイティブ」世代を指します。みなさんの教会では、Z世代との関わりはいかがでしょうか?
Z世代を理解するなら、小説より解説本が良いのでは? しかし、Z世代「について」知ることと、Z世代「を」知ることは別物なのです。
英語で「Put yourself in someoneʼsshoes」(相手の靴を履く)という表現があります。相手の立場で考えるという意味です。小説を読む時、私たちは登場人物の立場から、見つめ、聞き、感じ、考え、傷つき、痛み、葛藤します。読みながら、少しだけ他の人の靴を履かせてもらう体験をするのです。
私は以前、あるマイノリティに関する資料を多く読み、知識を頭に蓄えました。それでも、どこか他人事で「聖書にはこう書いてある」という冷たい、上から目線は変わりませんでした。
しかし、そのマイノリティが主人公の小説を読んだ時、主人公が投げつけられた言葉を自分も聞き、傷つき、悲しみを感じました。受けた不当な扱いに心揺さぶられ、怒りが湧き上がりました。
これが小説の、物語の力です。頭でなく、身をもって肌で感じる体験。それを通し、自分の内側に小さくですが確かに、それまでとは違う見方や考え方が生まれてくるのです。
小説を通し、私の狭い考えは少しずつ柔らかくされ、広げられていきました。もちろん当事者との関わりでこそ本当の意味で教えられますが、小説はその前の良い備えとなりました。
教会は、社会に生きるさまざまな人の靴を履く体験が不足しているのではないかと感じます。実際、Z世代が神に無関心なのではなく、私たちの不理解や価値観の押しつけが、彼らを福音から遠ざけ、教会の姿勢こそがつまずきの石となっている場面を何度も見てきました。
彼らに響く言葉や、適切な接し方は分からない。けれど、せめて余計なつまずきは与えない。教会の問題で彼らに福音が届くのを妨げたくない。その感覚が大切なのです。
そこで、Z世代の靴を履かせてもらえる体験ができる小説を三冊紹介します。小説には整理された結論や答えは出てきません。けれど、これらを読み、驚き、悩むことで、私たちの内側で何かが変わってほしいのです。
『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)
「アイドルやアニメ、音楽ではなく、もっと信仰に熱心になってほしい」。そう若者たちに思ったことはないでしょうか?
第一六四回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』が描く「推し活」は一見すると信仰とは無縁です。しかし、「推しが尊い」「推しが生きる支え」「推しのためなら何でもできる」といった文面の「推し」を「キリスト」に置き換えれば、驚くほど重なるのです。
主人公・あかりが生き辛さに悩み、周囲から取り残されていく焦燥感の中で生きる支えとなっていたのは、神ではなく「推し」の存在でした。
「あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな」
「推し活」にもさまざまな種類があり、『推し、燃ゆ』のような個人的な推し活もあれば、直木賞作家の朝井リョウによる二〇二六年本屋大賞受賞作『イン・ザ・メガチャーチ』で描かれるのは「推し」を世に広める「布教」のために、お金や時間、エネルギーを惜しまない熱狂的なファンダムと呼ばれる集団。それはまるで「教会」であり、登場人物はそこに、生きる意味と居場所を見出すのです。
神ではなくアイドルが、教会ではなくファンダムが、信仰ではなく推し活が、多くの人にとって生きる支え、まさに「救い」になっている現実が確かにあるのです。
教会はどう向き合いましょうか? 推しを推すことで力を得、なんとか日々を生きている主人公に「推し活は逃避であり、信仰こそが本質」とは軽々しく言えません。「あなたに推しがあってよかった、あなたが生きていてよかった」。そこから福音が始まるのではないでしょうか。私の教会では、この二冊を教会全体に紹介し、役員会でも読んでもらいました。
『婚活マエストロ』(宮島未奈)
人気シリーズ『成瀬は天下を取りにいく』で二〇二四年本屋大賞を受賞した宮島未奈の作品です。
現在、結婚の三〇〜四〇%はアプリによる出会いであり、結婚式や披露宴を行わない「ナシ婚」は四〇〜五〇%であるとされています。
そんな変化の激しい時代に、「クリスチャン同士でないと幸せな結婚生活にならない」「祈れば最善の相手が与えられる」──そんなハラスメント発言をしていませんか?(きっと「あなたがた夫婦は全然幸せそうじゃないんだけど……」「じゃあ是が非でも結婚したくなるようなクリスチャン異性を教会に呼んでこい!」と思われています)
この小説を通し、婚活の現実に、そして婚活に向かう人の心に触れた時、少なくともそんな無神経な発言は口が避けても言えなくなります。
性格、収入、家族の背景、容姿、病歴など一人ひとりの状況はさまざま。他者と自分を比べたり、自分の年齢に焦りながら、「どうして結婚したいの?」「自分は人から選ばれる魅力があるの?」「そもそも私の願いや幸せって何?」と自問自答しつつ、アプリ、イベント、パーティー、ツアーなどに取り組む登場人物たち。
エンタメ小説で楽しく読みながら、さまざまな婚活の様子を擬似体験できます。作品としては、とてもソフトでハッピーエンド。実際の婚活の厳しさや辛さを十分に描き切れていません。
それでも、登場人物の葛藤や焦燥の場面では読んでいて胸が痛くなります。この作品を読み、少しでも若者たちが置かれている状況への想像力を広げ、若い世代の幸せを切に祈り、応援できる教会でありたいと思います。
『生殖記』(朝井リョウ)
教会で「最近の若い人は……」と言ってはいませんか? 「もっとこうありなさい」と自分たちの時代の常識や価値観を押し付けていないでしょうか?
拡大、発展、成長にこそ価値がある。そんな風潮の中で、それぞれに生きるZ 世代。その中でも特異で、これといった価値観も特別な目的もなく、ただただ生きていく主人公・尚成。
体育のマットをみんなで運ぶ際、一員として手を添える、けれどまったく力を入れていない。そんなたとえのように、多数派に擬態し、何事にも力を入れず、毎日をただ消費する尚成の生き方を◯◯◯の視点で軽快に、痛快に語る現代小説。
たくさんの「こうあるべき」「こうでなくてはならない」の声の中で、淡々かつ飄々と生きる主人公の姿と心情には、読み進めるうちに愛おしささえ感じます。
若い世代に「こうであるべき」という、伝統、習慣、前例の押しつけは、響かないどころか逆効果です。
「すべての人は神に愛されて価値がある、私達の人生には神の素晴らしい計画がある」という聖書の中心的なメッセージも、本作の尚成はピンと来ないでしょう。若い世代への神の愛の語り方、表し方について問われる作品でもありました。
一つ言えるのは、すぐに相手を変えようとしない、こと。時間をかけずに人に思い通りの変化を求める。それは都合が良すぎます。イエス様ですら、弟子たちに三年以上かけ、そして裏切られたのですから。
もし尚成のような人が何かのきっかけで教会に来てくれた時、「ここはいろいろ強要されないから楽にいられる」と思ってもらえることが大切だと思います。その人のペースに合わせて、ゆっくりと、じんわりと、何かを感じていってもらえる教会でありたいのです。















