福音書が語る宣教への実践とは?!
〈評者〉島先克臣

全信徒祭司の教会を建てあげる
イエスの弟子へのひろがりを求めて
デービッド・ワトソン&ポール・ワトソン著
松村 隆訳
福田 崇監修
A5判変形・304頁・定価1980円・ヨベル
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この書は最初のページから驚きで満ちている。宣教の困難なあるインドの地域において、5年間で千の教会が開拓されたとの報告だ(まえがき)。そのためには、教派神学も文化の影響を受けているので神学さえも相対化し、聖書だけに聞いていくという出発点が必要だと言う(1−2章)。当然ながら西洋で発達し世界に定着した「会堂・教職者・プログラム」中心の教会の在り方、しかもスモールグループでさえ望ましい形だと言わず、その形は、福音の本質と愛に基づくキリストへの従順に根差した現地の弟子たちによって生み出されるべきだと著者は語る(3−7章)。
また著者は、「キリストに従う弟子」と「教会の伝統や教えに忠実な改宗者」の違いを説明した上で、教室での講義による今までの知識中心の働き人の養成方法から、日常生活の中で主に従う歩みを共有する指導者養成方法へ切り変えるようチャレンジする(第8−9章)。
以上の第一部では、キリスト教と教会、また、指導者養成に対する私たちの考え方やイメージがいかに文化の影響を受けているかを明らかにしている。そして、異文化宣教だけではなく、自国の宣教と教会形成に携わる者たちが今一度、変わりつつある自分たちの文化と今置かれている社会を見つめ直し、イエスの愛に根差して考え、行動するよう著者は促している。
10章から始まる第二部では、より具体的に弟子を育てる原則を述べている。まず、弟子を育てようとする前に、自らが日常生活のすべての分野で主に従う歩みをすることが述べられる。そして、祈りに献身すること、人が社会の中で属しているグループを見極め、その人をグループから引き離すのではなく、グループ全体のことを考えること、(ビジネスも含めて)地域に仕えること、などを挙げている(10−13章)。13章で心に残った一言は、「地域に仕える奉仕をしないで、弟子を育てる運動をすると、キリストの命令に従わない歪んだ教会を建てることになります」(150頁)だった。
著者は「平和の子」に関してページを割いている。それは福音に心を開く人々で、その人たちを見出すことが重要だという。「平和の子」は、祈りと人を助ける具体的な愛の実践によって見出せると語る(14章)。次が具体的なグループの持ち方(15章)、そしてグループが教会に移行することに触れる(16章)。著者は、教会のリーダーシップについて詳細に述べ(17章)、リーダーを育てるための継続的なメンタリングの重要性について強調し(18章)、本書を閉じている。
読後の感想は、「私たちは本気で、福音書が語るような宣教を実践する気があるだろうか」である。神学校を出た牧会者が導く教会で、会堂に出向いて、委員会と集会、そしてイベントをこなしているほうがはるかに楽なのだ。それを根底から見直すよう迫る本書はあまりにもチャレンジが大きすぎると感じる可能性がある。しかし、本気で日本のキリスト教会の現状を変えようと願う方々、特に、教会や教派、そして神学校の指導者の方々には、是非一読をお勧めしたい。