場所的聖霊論の論文
〈評者〉関川泰寛
聖霊と霊性 心の深みで
栗田英昭著
A5判・236頁・本体3800円+税・一麦出版社
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本書は、「聖霊と霊性」をめぐる著者の論文集である。
二〇〇八年から二〇一八年までにすでに発表された論文がほぼそのまま年代順に収められている。収録されている論文は、以下の通りである。「十分に展開された聖霊論の必要性について」「神と人の関係」「西田哲学のキリスト教的展開」「聖霊の内住」「キリストとわたしの神秘的合一の場所論的理解」「ファン・ルーラーの聖霊論と場所論的理解」「聖霊論的思考について」「植村正久における霊性と場所論的理解」「まことの信仰とは何か」。
これらの諸論文は、現代の聖霊論の展開を知るための貴重な論考であり独立しても読むことができるが、全体を通して読むことで著者の問題意識を明確に知ることができる。
著者の問題意識とは、二十世紀を代表するオランダの改革派の神学者ファン・ルーラーが「神律的相互関係」と名付けた概念に導かれて、聖霊と人間の霊性の関係を明らかにすることによって、三位一体論的な聖霊理解の深化という現代神学の課題に答えることである。
この課題に答えるために、著者は、伝統的な西方神学、東方神学の歴史的な遺産の解明という道ではなくて、むしろ日本の神学と哲学の鉱脈の中に手掛かりをさぐっていく。
ファン・ルーラーの聖霊論と霊性論とともに、植村正久の思想や西田幾太郎、小野寺功の「場所論」や「場所的論理」を論じているのもそのためである。単純化していえば、本論文集を貫くのは、神が聖霊として人間に働きかけてくださって、人間の霊性の深みにまで触れる場合に、ファン・ルーラーの語る神主導の(つまり神律的)相互作用が起こりながら、聖霊を注がれる人間の主体性もまた担保される認識的な原理の解明への関心である。著者は、この関心ゆえに、霊性という場所上の事実の認識と自覚、さらには、
聖霊論的な思考の論理を包むものとしての場所的な論理が、ファン・ルーラーの概念をより鮮明にすると論じていく。
なるほど、聖霊理解の最奥には、聖霊と霊性の結びつき、認識の問題が常に横たわっており、この問題を避けて通ることはできない。その意味で著者は、聖霊論の問題を、ただちに教会論やキリスト論の神学的、実践的な課題との関わりで論じるのではなくて、聖霊と霊性という存在と認識の問題に集中させたと言ってよいであろう。
カール・バルト以降の現代神学の課題は、聖霊論を三位一体論的に展開するところにある。翻って歴史を一瞥するなら、すでに宗教改革者たちの中に、神と人との質的差異を強調するあまり、人間の霊性への関心が薄れていった事情が存在した。改革派の神学者たちは、人間の霊の働きを論じることに躊躇し、人間の霊の働きは受動的であり、霊の特徴である動的な理解を見失っていったようにも見える。
二十世紀後半には、バルト神学への批判が東方の神学者から提示され、さらにはモルトマンらもバルト批判の矛先を、彼の聖霊論の欠落やフィリオクエ擁護に向けるようになる。評者もそのような現代神学の動向分析に異論はない。
しかし、改革派神学が忘却してきた鉱脈の中にも、現代神学の課題を解決する鍵はないのだろうか。本論文集を読む者は、このような問いを突き付けられる。現代日本で聖霊論に関心を寄せる者には、必読の書物となるであろう。
関川泰寛
せきかわ・やすひろ=大森めぐみ教会牧師
- 2024年5月1日