「老いをどう生きたらよいか」と悩む、すべての人に
〈評者〉棟居 勇
著者渡邉正男牧師は、二〇〇九年引退後『老いて聖書に聴く』、『夕暮れに、なお光あり。』(共著)の二書を出版しています。自身「老い」を生きる者として、その現実の中で改めて老いに伴う変化を直視し、問題・課題を整理し、信仰的な道筋をつけてみたというのが、この度の『老いをどう生きるか』の出版となったと言えるでしょう。「老い」の中に置かれて「どう生きたらよいか」と行き悩んでいるみなさんに「是非に」と強くお勧めしたい書物です。
著者とは大学時代からの縁を持ちますが、その関係から著者の今日までの人生の行程を顧みると、そこに一貫しているものは、主に対しての真摯な求道と伝道への熱い思い、そして信仰を共にする人々に対する共感と心遣いです。その生涯を通じて内に抱き、育んできたもののすべてに形を与えたものが、この度の著作となったと言えるのではないでしょうか。人生の終わり近くにあって行き悩む人々に、自らの経験、考察を提供しながら、「私はこのように思い、考えます。あなたはどう考えますか。さあ、時に困難と迷いを伴う老いをご一緒に生きて行きましょう」と語りかけているのが、この書物だと言えるように思います。
書物は、二部構成で、第一部「老いをどう生きるか」、第二部「あなたはあなたなりに」となっています。
第一部は、「老い」を総括的に捉え、導きになる数多くの聖句(よくこんなに多くの聖句が、と思う)を紹介し、御言葉によって生きる方向づけを内容としています。これ程丁寧で示唆に富んだ内容に初めて出合う思いです。
第二部には、ハンセン病療養所多磨全生園内「秋津教会」で高齢信徒に語られた説教が収められています。
渡邉牧師が多磨全生園秋津教会で説教するようになった経緯については、文中にも紹介されていますが、私の求めによるものです。私は一九六一年神学生時代に神学生誰もが課される夏期伝道実習で、四国高松にあるハンセン病療養所大島青松園内の教会に遣わされ、島内に一カ月半滞在しました。その関係からその後すぐハンセン病伝道団体「好善社」の社員となり、以来六〇年を越えて今日までなおハンセン病療養所とそこに生きる人々との関わりを与えられています。その関係で、同社代表理事時代、渡邉牧師が青森のハンセン病療養所教会にも関わっていたことを知っていた私は、引退した渡邉牧師が東京・府中市に住まいを得たことを知り、早速秋津教会礼拝への月一回の協力をお願いしたのでした。渡邉牧師はその求めに快く応じられ、一六年に及ぶ講壇のご用となったのでした。
ハンセン病療養所に在住する人々は、かつての国の施策によって、言語に絶する過酷な生活を強いられた人々です。今はその悪法は廃止され、病気も完治したみなさんが平穏な生活を重ねていますが、渡邉牧師の説教は、その人々に対し、しっかりした釈義を踏まえながらも、平易で分かりやすい、時に聴く者たちに同意を求めるという、求道の姿勢を聴く者と共に分かち合おうとする性格をもつものでした。その説教に、私たちには計り知れない苦難の人生を生きてきた療養所教会のみなさんは、いつも変わらず静かに耳を傾け、喜びをもって教会を後にしていくのでした。













