譬え・譬え話を味わうための良き導き手
〈評者〉浅野淳博
原口尚彰氏が著した『メタファーとしての譬え──福音書の中の譬え・譬え話の聖書学的考察』は、福音書研究の中でも一つの重要な位置を占める譬え(話)に関する研究のための重要な入り口を提供している。本著は著者が継続してきた譬え研究の成果である。
第一章は「譬え」に関する研究史を扱う。本格的な批判的研究者としてのユーリヒャーから始まり、ブルトマンに起因する伝承史的研究、ヴァイア、ファンク、リクールなどに代表される文学的研究、フックス、ユンゲル、ヴェーダーなどが導いた神学的研究、そしてドナヒュー、スコット、ツィマーマンなどが中心となる釈義的研究を丁寧に概観する。
第二章で著者は、譬えの定義を「あることを異なった事柄に準える文学的形式…未知のことを既知のものに対比し、不可視的なことを可視的なことに置き換えて修辞的効果を上げることを目的とする」(三〇頁)表現方法とする。そして修辞学上、譬え(直喩)とメタファー(暗喩)の機能上の違いを限定的とする。さらにユダヤ教的あるいはヘレニズム的背景を説明しつつ、譬え・譬え話が置き換えという作業に特化して新たな意味を創出しないとする従来の理解に対して、むしろ置き換え作業が新たな意味の発見につながると主張する。
第三章では、ストーリー性のない短い成句としての譬えが考察される。譬えはその性格上、詩文において頻繁に用いられ、マタイ福音書はメシア預言としてこれを頻用する。ルカ福音書の「ザカリアの預言」/「シメオンの預言」にも登場し、ヨハネ福音書の詩的言語との親和性も高い。著者はここで共観福音書から洗礼者ヨハネが語る譬えを紹介するが、それらは悔い改めを求め、終末の裁きを告げる。ヨハネ福音書は洗礼者ヨハネがイエスの死の意義を述べる際に用いる。
さらに三章の後半においてはイエスによる譬えが、そして四章ではこれに続きストーリー性のあるたとえ話──これはイエスに特有──が、それぞれ民衆と弟子らに向けられたガリラヤでの教え(農耕、漁労、家事労働に起因)、おもに弟子らに向けて語られたエルサレム途上での教え(宣教活動への準備)、律法学者や祭司ら論敵に向けられたエルサレムでの教え(告発と非難)に分けられて多数紹介され、釈義が施されている。
五章では、イエスの譬え話が修辞学的に分類・評価される。古典の修辞法は演説を「演示」(祝祭や葬儀)、「助言」(共同体への勧告)、「法廷」(法廷での弁論)という三つに区分する。この分類によるならば、神の国の到来に関する譬え話は演示的であり、弟子としての生き方に関する譬え話は助言的であろう。そして預言者や宣教者を受容しない態度への批判に関する譬え話は法廷的となる。さらに本章は、イエスの譬え話を演説における構成という点からも評価し、それが序論、叙述、論証、結語からなることを指摘している。
そして六章では、イエスの譬え話に対する聴衆の反応に注目し、これが譬え話の解釈において重要な鍵となる点がこれまで看過されてきたことを指摘している。
本著は、読者が福音書における譬えと譬え話を概観して理解する手引きを丁寧に行っている点で、非常に有用であり高く評価される。最後になるが、読者にはこの良書を導入として、さらにC.L. Blomberg, Interpreting the Parables (Nottingham: Apollos, 2nd edn, 2012)をとおして譬え話の具体的な解釈方法を学ぶ機会を持って頂きたい。