キリスト教を 生きる力とするために
〈評者〉小池茂子
本書は、青山学院宗教主任会が編纂したものである。私立学校の使命は建学の精神に基づく教育を行い、その精神を体現した人を世に送り出すことにあるといえる。「青山学院の教育方針」には、「キリスト教信仰にもとづく教育をめざし、神の前に真実に生き 真理を謙虚に追求し 愛と奉仕の精神をもって すべての人と社会とに対する責任を 進んで果たす人間の形成を目的とする」とある。
しかし、キリスト教主義学校に在籍する者の多くがキリスト教の信仰に至っていないという現実がある。「生徒・学生たちに贈るメッセージ集」(三頁)と「まえがき」にあるように、本書のねらいは、同学院に連なる人たちがにわかに信仰には至らずとも、日常の教育・研究や学内の礼拝を通じてキリスト教のメッセージを身近なものとして受けとめ、自身の生き方を考えることにあろう。
内容は「はじめに」「Ⅰ 聖書で読みとくSDGs」「Ⅱ SDGsと聖書のメッセージ」「あとがき」からなっている。
Ⅰでは、SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)の一七の目標とそれに関連する聖書箇所が紹介され解説が加えられている。今日だれもが耳にして授業でも取り上げられているSDGsの目標を聖句に結びつけて解説することで、聖書が語るメッセージの現代化、生活化を図り、生徒・学生たちに聖書を身近なものとする点に本書の特徴と意義を見出すことができる。同時に、気がかりな点もある。Ⅰの冒頭には、SDGsに明示されている現代的課題について「必ずしも古代世界の問題とぴったり重なるわけではありませんが、聖書のメッセージの中に同じ価値観や願望を見出すことはできます」(九頁)とある。だが、ジェンダーの問題をはじめ、聖書の中には今日の価値に照らすと妥当とは言えない記述、時代的な限界を含む記述が存在することを明言したほうが、読み手は聖書を一層身近なものと感じられるのではないだろうか。
Ⅱでは、学内行事(グローバルウィーク)で、すべての礼拝がSDGsとの関連から語られた折の礼拝説教が紹介されている。幼稚園から大学まで、宗教主任によるSDGsに掲げられた目標を切り口とした説教は、神が創造された世界・私たちが生きる今日の世界が人間の欲望や罪によって持続可能性を危ぶまれていること、その中で私たちは単に悲嘆や絶望、黙殺や無関心、自己を守ることだけに終始するのではなく、神(イエス)がこの世と人を愛されたように、隣人を覚え、社会や隣人のためにできることが私たち一人ひとりにあるのではないかと問いかける。使徒パウロはイエスを「キリスト(救い主)」として信じた者が、内的にどう変えられていくかを絶えず問題にした。キリスト教が生きる力となっているか、隣人のために何かしているか……。各説教では、聖書が語る問い「あなたはどう考え、どう生きるか?」が、今を生きる園児・児童・生徒・学生に身近な言葉として語られている。
学校という教育の場で、在籍している生徒・学生たちにいかにしてキリスト教のメッセージを届け、建学の精神を体現した人を育てていけばよいか。今日の日本におけるキリスト教主義学校が抱く課題について、果敢な挑戦とヒントを本書の中に見出すことができる。
小池茂子
こいけ・しげこ=聖学院大学学長