今日的に神学の枠組を問い直す
〈評者〉藤本満
平和をつくり出す神の宣教 現場から問われる神学
西岡義行責任編集
A5判・264頁・定価1980円(税込)・ヨベル
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東京ミッション研究所(TMRI)は、一九八九年、ロバート・リー氏を筆頭に、東京聖書学院、日本メノナイト兄弟センター、OMFの支援によって設立された。リー氏はハーバード大学で「日本史における宗教的自我の形成」で博士論文を書かれたほど、日本の宗教と歴史、宣教のあり方に造詣が深い神学者であった。日本国が希求する「平和」を「神の平和」という大きな視点から論じることのできるメノナイト宣教師であった。本書は、TMRI設立三〇年を経て、天に帰られたリー氏の志を受け継ぐ研究者たちによって執筆された論集である。
諸論文に一貫した筋道を記すことで書評としたい。TMRIが日本の教会全般に果たした特筆すべき貢献は、D・ボッシュ『宣教のパラダイム転換』の翻訳出版であった。この書は、西欧的帝国主義・勝利主義の息がかかった宣教論を批判的に検討し、宣教とは、ご自身の民を創造しようと歴史に働きかける「神の宣教」(ミシオ・デイ)である、と論じた大著である。翻訳のために多くの研究者が集結し、TMRIの裾野は拡大した。
本書の冠的論文である第一章で、リー氏は聖書や神学的伝統を理解しようとするとき、それが「過去において何を意味にしたのか」、それが「今日において、日本の文化脈で何を意味するのか」を区別し、双方を批判的に検討することの重要性を力説している。宣教は、西欧キリスト教から受け継いだものを無批判に押しつけることではない。また宣教を受け取った側も、自らの文化的土壌・日本人論を批判的に検討せずして、宣教のさらなる広がりを期待することはできない。過去から今日へと、パラダイム転換、脱構築、再構築という用語が何度も出てくる。
第二章の「平和神学の基礎としての聖書学的枠組」(宮崎誉)は、メノナイト派の真骨頂である平和神学の枠組を紐解く。旧約聖書では、王政はシャロームを用いて、格差社会を安定維持しようとし、それに対抗して、預言者は社会正義を求める真のシャロームを説いた。新約聖書では、ローマ帝国の平和に、神の国における終末論的平和が切り込んでいく。戦中のパックス・ジャポニカ(大東亜共栄圏)、戦後のパックス・アメリカーナ、帝国主義というパラダイムの中に平和が取り込まれてしまう。教会が背負う倫理的な課題はなんであるのかを問う。
第三章「修復的贖罪論の可能性を探る」(河野克也)は、十字架を刑罰代償的に理解する応報的贖罪論のパラダイムを、近年のパウロ研究に基づいて見直し、新たに「修復的贖罪論」を提唱している。短くも、凝縮された、秀逸な論考である。
第四章「グレン・スタッセンの『受肉的弟子の道』の地位と展望」(中島光成)は、特定のイデオロギーに基づいたイエスではなく、神の性質の顕れとして受肉された御子イエスを、歴史に根ざし、現実的に重く受け止める「受肉的弟子の道」を現代の日本の教会のために紹介している。
第五章「ハワーワスの『近代的自己』批判」(中島真実)は、カントの、理性的によって近代的自己を確立しようとする試みが、人間の宗教性を道徳世界に封じ込めてしまったことを指摘する。その上で、ハワーワスによる、キリストの物語に取り込まれ、聖化に向かい旅する自己を物語的に捉えるパラダイムを紹介している。興味深いのは、ホーリネス系の自己がカントのそれに近いと指摘していることであった。
第六章「終末的苦難のなかでの世界宣教とイエスの弟子形成」(横田法路)は、近年のさまざまな災害にあって、イエスの弟子共同体はなんであり、どのような役割を担っているのかを具体的に解説、まさに現場からの神学である。
最終章「被災地から問われる包括的福音─ローザンヌ運動の視点から」の著者は、本書全体の編集者・西岡義行氏である。氏は宣教学のパラダイム転換を図ったフラー神学校で宣教学の博士号を取得し、ベストのタイミングで帰国され、それ以来、リー氏の志を具現するためにTMRIの働きに献身的な労苦を重ねてこられたことを付記して、拙評を閉じる。
藤本満
ふじもと・みつる= インマヌエル高津教会牧師
- 2024年7月1日
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