半世紀にわたる探究の集大成
〈評者〉野々瀬浩司
本書は、著者である森田安一氏がこれまで宗教改革史に関連して執筆してきた、論考や史料翻訳を収録した論文集であり、膨大な史料の分析に依拠した実証研究の成果を収めた大著である。森田氏は、東京大学において学部から大学院博士課程まで歴史学を学び、博士号(文学)を取得し、スイス連邦政府給費奨学生としてチューリヒ大学に留学した経験を有し、岡山大学や東京学芸大学での勤務を経て、現在日本女子大学名誉教授という肩書を持っている。森田氏の研究範囲は多岐にわたり、宗教改革史に加えて、中近世スイス・ドイツの都市史、シュピーリ著『アルプスの少女ハイジ』に関する研究を含むスイス史全般、幕末以降のスイスと日本の交流史にも及び、非常に多くの著書・論文・翻訳が残されている。森田氏の研究内容は広いだけではなく、その視点は鋭く深い。本書の目次は以下のように、全体として五部に分けられ一四章で構成されている。
目次
はしがき
第一部 ツヴィングリの改革運動―再洗礼派と人文主義―
第二部 ツヴィングリの政治思想
第三部 西南ドイツの宗教改革の諸相
第四部 ルターの宗教改革
第五部 補遺
「はしがき」に記されている「思想は一人歩きしない」(四頁)という言葉の意味を理解するためには、新しい思想が誕生して流布し社会に受容される際には、その時代の社会構造や法制などが深く関係しているという著者の歴史観を十分に把握する必要がある。ミュンツァーの抵抗権思想から研究を始めた森田氏は、思想史や文化史だけではなく、社会史や法制史などに関しても深い造詣を持っている。本書の内容は、全体として次のように三つに大別できる。第一に、宗教改革期の思想自体を扱った研究が挙げられる。本書ではツヴィングリ、ルター、人文主義者、スイス再洗礼派などの思想が考察されている。第二に、新しい思想が成立する前提となった時代背景(社会経済構造、政治体制、法制、外交関係、軍制など)を分析した、都市を中心とした地域史研究の成果が収録されている。第三に、宗教改革の思想が広まり受容されていったコミュニケーションの過程やそれによって生じた社会の変化が、プロパガンダ合戦で作成されたパンフレット、ビラ、木版画などの考察によって明らかにされている。
本書の主要なテーマの一つは、ツンフトや教区を中心とした都市における聖俗の共同体研究である。ツヴィングリが都市邦チューリヒにおいて公開討論会の開催などで主導した宗教改革は、既存の共同体を基盤とした運動として特徴づけられ、それから分離したスイス再洗礼派の運動は、一層徹底した共同体原理の下で独自の「信者の共同体」を形成したものと規定されている。それに対して、主にザクセン選帝侯領で活動したルターの神学においては、苦悩する個人として神の前に立つことを重視し、不可視的な教会観を提唱したことから、中世的な共同体から比較的距離を置いた側面が示されている。本書では中世と近世の間の連続性と断絶性の両面が指摘されているが、特にルターの思想に関しては、万人祭司主義を掲げて教皇を反キリストと見なすなど、中世世界の破壊者という部分が垣間見られる。今後日本において、宗教改革史に関して、これほどまでに広く深い研究成果を残すことは、難しいのではないかと推察する。













