楔形文字から聖書の世界へ
〈評者〉三津間康幸
楔形文字で粘土板に書かれたアッカド語文書は、文学、歴史、宗教、社会、経済などの多方面にわたってメソポタミアやその周辺に生きた人々についての情報を提供し、聖書の理解にも重要な役割を果たしてきた。一九世紀に発見された『ギルガメシュ叙事詩』第一一書版や二〇世紀に発見された『エサルハドン王位継承誓約文書』、そして二一世紀になってまとまって公刊されたアール・ヤーフードゥ文書などが好例である。こうした楔形文字文書を読み解くためにはアッカド語の理解が必要不可欠であるが、最近まで本格的な文法書や辞書は外国語のものしかなく、複雑な文法を初学者が独習することは大変困難であった。
そんな中、二〇二四年にリトン社から青島忠一朗『アッカド語文法』が出版され、ようやく日本語で書かれた本格的な文法書を用いて、アッカド語を独習できる環境が提供された。諸般の事情により同書は一時入手困難になっていたが、この度ヨベル社より再版され、再び篤学者が本書を手に取りやすくなったことは大変喜ばしいことである。
本書はアッカド語の正則とみられる形が表れている古バビロニア語の文法を三二課に分けて丁寧に解説している。各課には充実した練習問題が付され、それを解くために必要な楔形文字の表や語彙集も各課にあるほか、巻末にもまとめて掲載されている。文字は―こうした文法書では一般的であるが―新アッシリア書体で示されている。練習問題の解答も載っていて、初学者でもアッカド語を学習しやすいよう、十分な配慮がなされている。
本書の著者である青島氏は中央大学大学院で学んだ後ドイツに留学され、アッシリアの王碑文を専門に研究してこられた。その研究経験は本書にも反映されている。本書一八二─一八三頁には「講読テキスト」として標準バビロニア語で書かれたセンナケリブ王の碑文が取り上げられているのである。取り上げられている文章はわずか三行であるが、センナケリブの第三回遠征における「ルリー、シドンの王」逃亡の場面が紹介されている。このルリーがヨセフスの『ユダヤ古代誌』九・二八三─二八四にエルライオスとして登場することを知ると(佐藤 育子、丸小野 壮太「アッシリア史とフェニキア・カルタゴ史の対話から考える開かれた古代地中海世界史研究」『ヘレニズム~イスラーム考古学研究2024』五九─七〇頁参照)、アッカド語学習により聖書や西洋古典の理解が深まることが感じられるのではないだろうか。他に本書一七〇頁以下の「講読テキスト」に取り上げられているのは、『ハンムラビ「法典」』(古バビロニア語)『ギルガメシュ叙事詩』(標準バビロニア語)『エサルハドン王位継承誓約文書』(新アッシリア語)である。古バビロニア語以外の文書を読む際には、補遺二「アッカド語の地域・時代の特徴」(一九〇─二〇五頁)が大きな助けになる。
評者は大学の授業で何度かアッカド語文法を教えてきたが、多くの若い学生が楔形文字やアッカド語に強い関心をもって学習に取り組んだことに驚かされた。本書の再版はこうした人々に学ぶ機会を広く提供し、ひいては聖書にも大きな関心を呼び起こす助けになるものと期待できる。













