受ける恵み、与える恵み
〈評者〉長沢道子
ナウエン・セレクション
アダム 神の愛する子
ヘンリ・ナウエン著
宮本 憲訳、塩谷直也解
四六判・192頁・本体2000円+税・日本キリスト教団出版局
この本は、カトリック司祭で、大学教授、霊性の指導者、著述家としても著名なヘンリ・ナウエンが、知的にも身体的にも最重度の障碍を持つアダムから、どんなに豊かな恵みを受けたかを伝えるものです。ヘンリはこの本を完成させる直前に急逝したので、まさに絶筆です。
ヘンリは、アダムの生涯を、イエスの使命と重ねて書いています。が、そのようなテーマに関心がない人でも、重い障碍を持つ人が生きる意味、健常者の(外側からは見えない)深い苦悩、助け合う意味、介護の意味、受難の生涯の意味などについて、多くのことを学べます。
ヘンリがアダムに出会ったのは、彼がアカデミックな世界を辞し、紆余曲折を経てカナダのラルシュ共同体(知的障碍者と健常者がともに暮らす共同体)に入ってからです。到着早々、彼は最重度の心身障碍者、アダムを世話するよう頼まれます。しり込みしつつ、ヘンリは最も不得手なケアの役割を引き受けました。アダムの奇妙な手の動きに不安を感じたり、大発作に狼狽したり、何かにつけ「助けてくれ」と大騒ぎしながら、徐々にケアの仕事を覚えます。
ケアに習熟したヘンリは、いろいろなことをアダムに話し始めました。そして、アダムが全存在を傾けてヘンリのことばを聴いていることに気づきます。言葉や観念の世界に浮遊しがちなヘンリを、アダムは全き静けさをもって大地へ引き戻し、自分自身の中に根を下ろすよう助けてくれました。ヘンリが長年研究し思索し学んだこと全てを、アダムはその命と心でもって証ししてみせたのです。アダムには「神のみ言葉が親しく沈黙して宿っていた」(六四頁)とヘンリは述べています。
アダムは自分からは何もできず、全てのことを神と周囲の人々に依存して生きていました。しかし、不思議なことに、その徹底した弱さを通して、有能で、裕福で、人の助けを必要としないように思われるたくさんの人々の不安や苦悩を癒します。彼らの悩みは「もし、自分に何もなくなったら、人は今までと同じように自分を愛してくれるだろうか」というものでした。ヘンリも一時、挫折感や怒り、絶望を味わい、精神的危機に陥りますが、アダムのゆだねきった姿、彼から発せられる平安と光に導かれて、神に愛されている自分を見出すことができました。自分の傷を受け入れ、立ち直ることができたのです。
ヘンリは「アダムが十全に生きることができるのは、わたしたちが彼の周囲に愛の共同体として生きる時のみだ」(一一八頁以下)と語っています。いのちの充足のためには、アダムから人々への贈物(平安と光)も、人々からアダムへの愛も不可欠なのです。
ヘンリはまた、能動的、主体的な生き方を重視しやすい現代人に対し、人生の真理は、受動であり、受難であると告げています、成功や富、健康、人間関係のほとんどが、実は、自分が作り出したものではなく、自分ではどうしようもない出来事や環境によって影響を受けているではないかと。徹底的に受動的な生を生きたアダムは、わたしたちに、「人生の真理を引き受け、強い時には愛を与え、弱い時には愛を受けるよう呼びかけている」と語っています。
長沢道子
ながさわ・みちこ=(福)牧ノ原やまばと学園理事長