
「読書好きの国語嫌い」はきっとある。
学校での「国語教育」、とりわけ読解問題に、いつからか違和感を持つようになった。本─特に物語─の豊かさは決してテストで測られるものではないし、著者の意図など一つの答えに縛られるものではないと、斜に構えていた。いま思えば、こんな自分の思いを拙くとも分かち合える読書会のような場を求めていたのだ。
家庭では、在日コリアンの人権問題に、自分(日本人)の問題として向き合い、人と本に囲まれていた父親の姿に、大きく影響を受けた。しかし中学では反抗期に入り、高校は基督教独立学園での寮生活を選んだ。
驚いたことに、自分のような本好きがそこには何人もいた。図書「館」と呼ぶに相応しい建物があり、先輩や先生たちが自分たちで造り、増築を重ねていた。奥へ奥へ進むと出会ったことのないような本たちが待っていた。いま振り返れば、「真理を探求する=学問をする」ことを身体で体験するような場所だった。薄暗い本棚の前で「まさかあなたが、ここに?」と思うような先輩や友に出会った。
ヘッセの『デミアン』を、自分自身の姿が描かれているかのように感じ、クラクラしながら繰り返し読んだ。シェイクスピアの『ハムレット』『マクベス』の読書会では、セリフ一つに思いもよらない解釈が重なっていることを学び驚いた。「ハトの会」という聖書研究クラブは、たった数名しか集まらない超マイナークラブだった。高校生には超難解な『ATD』や『NTD』(旧新約注解書)を片手に、疑問をぶつけあい、自由気ままに思いを分かち合った。問題を起こし自宅謹慎時に渡されたのが、創設者・鈴木弼美による『真理と信仰』だった。「人に仕えること、人の嫌がる仕事を為すことが真に貴い」という言葉は、いまも自分の指針になっている。高校3年間は、自分にとって壮大な読書会だったのだ。
言葉を友と分かち合うとき、言葉はさらに響き出す。
(さとう・まさし=日本キリスト教団荒尾教会牧師・荒尾めぐみ幼稚園園長)













