母校の「魂」を伝える翻訳・研究・教育のバトン
〈評者〉水谷 悟

楓の記憶、紡ぐ言葉
来日カナダ婦人宣教師報告資料の翻訳と東洋英和女学院での幼児教育
芝 恭子訳著
芝恭子著作集編集委員会編
A5判・336頁・定価2970円・教文館
教文館AmazonBIBLE HOUSE書店一覧
サトウカエデはカナダの国樹。「楓」とは、カナダ婦人宣教師M・カートメルが一八八四年に創立した東洋英和女学校を指す。一昨年に『東洋英和女学院140年史』を監修・執筆したことが導きとなり今回の機会を賜った。日本近現代史を学ぶ者として批評を加えつつ内容を紹介したい。
訳著者の芝恭子(一九三二─二〇二四年)は同短期大学保育科で婦人宣教師から薫陶をうけ、霊南坂幼稚園で働き、カナダ・米国留学を経て幼児教育と音楽教育の連携を研究し、母校の保育者養成に尽した。退職後に「応答の責任」を感じ同僚らの共同研究に参加し、カナダ・メソジスト婦人宣教師団の年次報告を翻訳した。本書はその軌跡である。
第1章は婦人伝道会社の年次大会議事録(一八九七─一九二五年)より抜粋した東京・静岡・甲信越の幼児教育に関する報告の翻訳。時代思潮が欧化主義から国粋主義へ変わる中で偏見と闘い、様々な教育の実践を試みた宣教師たちの姿が立ち現れる。幼稚園の必要に気づいて幼児向けクラスを開き、親への伝道も含め「幼い人たちの間で永遠に続く仕事だと確信」する。これが上田幼稚園、上田保姆伝習所、東洋英和女学校附属幼稚園師範科へと結実していく。
第2章は日本幼稚園連盟の年次報告書(一九〇七─一九二五年)より抜粋した関連資料の翻訳。各地の幼稚園からの報告に訳者の本領が発揮される。イエスの復活を語る少女の舌足らずな言葉が母親を礼拝に導く話、吹雪の日の誕生日会に雪まみれになっても子供を背負い登園する親の姿、ヨシコさんと祖父の会話など、当時の様子が伝わってくる。特に子供たちの発する自然で率直な言葉に臨場感が溢れる。
一方、幼稚園教師の養成機関が不足するも、関係省庁は幼児教育の専門性を重視せず、日本の慣習に囚われ子供を半人前と見る機関も多かった。ゆえに人々は子供を一個の人格として扱う幼稚園に感銘を受け、わが子を預けた。
第3章は上田保姆伝習所で幼稚園教師養成を始めたデフォルフ手書きの遺稿や信濃部会に関するスクルトンのメモなどの翻訳。宣教師たちの意志と戦略を捉える「補助線」となる。また、宣教師志願者に対する一五の質問は見開き右頁に原文も示され、訳文と照合できる。宣教師に求められた姿勢・能力・経験などの条件を窺い知ることができる。
第4章は著者の研究三点。「1. 音楽教育におけるMUSIC MAKING のこころみ」は、幼児教育と音楽教育をつなぐ主要テーマ。学生一人ひとりが神経を研ぎ澄まし環境の中にあるリズムや音を感じ取り、「楽器を用いて一連の流れを持つ音楽に変えて再生を試みる」表現活動を分析する。幼児の創造性を伸ばすには、「私たち自身の全人格も向けなければ、その願いは達せられない」との言葉にめざす教育の本質が示されていよう。
第5章は母校に列なる宣教師や卒業生を扱った文章四篇。最後の「特別寄稿」では、自身が短大の入試面接でキリスト教との関係を問われ、「これからです。これから一生懸命に」と勇んで答えたことを明かす。日々の学業と礼拝を通じてイエスが幼子を慈しむ姿に「保育者にとって必要な知識と実践の原点」を見出し受洗。以来四〇余年、信仰者・教育者として導かれてきたと証し、卒業生・教員として「母校の“魂”を伝える責任を痛感して止まない」と締め括る。
先達の魂を受け継ぐには何が必要なのか。本書は現代の社会で疎かにされている行為の尊さを教えてくれる。












