連続講解に取り組む説教者と共に歩む心強い旅の道連れ
〈評者〉朝岡 勝
説教者にとって注解書とはなくてならない大切な道具であり、心強い助けです。連続講解説教に取り組み続ける途上では共に歩む旅の道連れのような存在でもあり、新たな講解説教を始めようと思えば関連する注解書を揃えることが旅支度になるでしょう。その際に、限られた予算と時間と能力の中でどんな注解書を選べばよいか。あまりに大部で専門性が高いものでは読みこなすのが難しく、あまりに簡便で平易なものではテキストの深みに達することが難しい。その点で現在刊行中の「NTJ聖書注解」は日本語で読める最良のシリーズであり、旧約の「VTJ聖書注解」ともども続刊の刊行を強く願うものです。
日本の新約聖書学を力強く牽引する著者辻学先生は、すでに『現代新約注解全書』(新教出版社)の『ヤコブの手紙』(二〇〇二年)、『牧会書簡』(二〇二三年)という本格的な注解を公にされ、第1ペトロについても略解を著しておられますが、本書は二四五頁という分量の中に豊かな内容が凝縮されており、説教を目指して聖書を釈義する牧師たちにとって実に心強い一冊です。ぜひ説教者には、準備に追われて当該箇所を読むのでなく、一冊の読書のようにじっくりと全体を通読することをお勧めします。以下、評者なりの本書の意義を挙げてみます。
第一に、緒論においては第1ペトロ書簡にまつわるテーマが簡潔かつバランスよく扱われ、同書簡に関する基本的な情報や議論となる課題が整理されています。特にパウロ書簡との関係性については、その論拠が手際よく整理されていて説得的です(一九~二三頁)。
第二に、注解の基礎的な作業である原典釈義とともに、八種類の日本語訳聖書(六頁)の丁寧な比較と吟味が行われ、「邦訳聖書の訳文にできるだけ触れつつ、原語で読むことの意義が明らかになるよう努めた」(二四四頁)との著者の読解・釈義の深さと正確さが如実に示されています。
第三に、上記との関連で本シリーズの「古代ギリシア語(その他の古代語)を用いはするが、その知識は前提しない一方で、脚注による二次文献との詳細な折衝を基本的に行わない」(四頁)との方針に沿いつつも、かなりの字数を割いて各種研究、翻訳、注解書との批判的対話がなされており、当該箇所の訳文や注解に関する切れ味鋭い吟味と評価、論拠の提示の公正さは、読んでいてある種のスリルと爽快感を覚えるほどです。
第四に、注解本文は第1ペトロ全五章が十七の単元に区分され、上記二項の特色が存分に生かされながらの、「語」、「句」、「節」、「文」レベルでの丁寧な釈義と注解が施されています。特に本書簡の難所と言える三章一九節には約四頁(一六九~一七三頁)、四章六節には約五頁(一八三~一八七頁)が割かれ、集中した釈義が提示されていて、読者は聖書を読む醍醐味を存分に味わうことでしょう。
そして第五に、全体を読み終えて評者の心に深く留まったのは、各単元の終わりの【解説/考察】のことばから伝わってくる日本の教会に対する思いです。「この世界の中で神に聴き従いつつ生きる」具体的な生への問いかけ(五九頁)、試練の中での神との信頼関係の決定的な重要さの指摘(七三頁)、「偽りなき兄弟愛を目指して互いに愛し合う生」(八九頁)への促し、隣人たちとともに連帯し、協働して生きる教会のあり方へのチャレンジ(一九五頁、二二六頁、二三二頁)等々。本書を旅の道連れとして説教壇に向かうと、この問いかけをも引き受けていくことになるでしょう。そしてこれらの問いを担いつつテキストに向かうことも「聖書を読み、説く」ことが求める姿勢なのだと思います。




















