待望の正教布教の通史、ついに刊行!
〈評者〉鈴木範久
本書を手にしたとき、まず思い出されたのは三人の方たちである。
一人は牛丸康夫さんである。今や漠然とした記憶であるが、牛丸さんと私は、二人で道を歩きながら語り合っていた。その道がどこか、その時がいつかも覚えていない。ただ、牛丸さんは正教会の聖職者であったから、私は、正教の資料の公開を訴えたと思う。当時の正教会側には、資料の公開はもとより、外部の研究者を受け付ける窓口すら無かった。このような声に応じる必要を感じたのか、牛丸さんは、熱心に日本正教史の通史を書きたいとの希望を語った。その後、牛丸さんの『日本正教史』が一九七八年に刊行されたので、同書は我々の声にも答えた書物となった。しかし、牛丸さんは、それから数年後に、今から思えば、比較的若くして世を去ってしまった。その時から数えれば二〇二三年は、実に四十五年もの年月が経過したことになる。本書のような新しい『日本正教史』が出されても不思議でない。牛丸さんも本書の刊行を歓迎していることであろう。
次は中村健之介さんである。中村さんを監修者として『宣教師ニコライの全日記』九巻が二〇〇七年に教文館から刊行されたとき、私は、その内容見本に「推薦のことば」を寄せた。そのなかで「日本各地のキリスト教の源を尋ねはじめたころ、きまってロシア正教会により伝道の種が蒔かれていた事実に出会い、一驚した」と記した。これは、ニコライの薫陶を受けた初期の日本人信徒たちの伝道が大きな力となって作用したためである。今度新たに刊行された本書を見ると、随所に、この「ニコライの日記」が活用されていて喜ばしい。さらに本書を通読して驚いたことは、全体の実に三分の二強のページが、「大主教ニコライとその時代」で割かれている点である。この間、明治維新、日露戦争など、日本にもニコライにも大変な時期があった。それにもかかわらずニコライが、多くの日本人に尊敬された存在であったことの意義は大きい。
もう一人は、某出版社の課長のAさんである。Aさんは、その出版社の企画による宗教辞典の編集を担当していた。その辞典の編集会議には、筆者も執筆側として参加していた。用語などの選定にあたって判明したことは、Aさんが常に、その信仰するロシア正教の用語を加えたがっていることであった。わたしは、ロシア正教独自の用語を数多く加えるとすると、宗教辞典としては相当な大著となってしまうので、Aさんに、その旨を説明すると、すぐに納得してくださった。そのAさんからは確か『日本正教』という題名の小冊子を頂いた。それを見て判明したことは、ロシア正教といっても、アメリカ軍による日本占領下にあっては、アメリカ人主教により支配されたため、ロシア側は別のところで礼拝を守り始めたこと、そして私の頂戴していた『日本正教』なる雑誌は後者の機関誌であることであった。辞典の企画が終わっても、しばらくの間、その雑誌は私のもとに届けられていたが、ある時を契機に、突然送付されなくなった。まもなくして両者の間に和解が成立したとの話が入ってきた。私は、その間の事情がわからないまま、時が過ぎていたが、今度刊行された本書を読むと、その経緯が実に詳細に記されていて、はじめて両者の間に成立した調停の実態を理解できた。
短い紹介なので本書を充分に語ったことにはならないが、ここに述べた二、三例においても、新事実の語られている新たな正教史として本書を推奨したい。
鈴木範久
すずき・のりひさ=立教大学名誉教授