新約聖書概論書の 新たな形を提示する
〈評者〉菅原裕治
本書は、「今さら聞けない!?キリスト教」の第六弾です。書籍の分類としては、新約聖書の概論書ですが、本の帯に「テキストの多様性の謎に迫る」とある通り、新約聖書を教会の正典という枠組みを超えて、様々な観点や角度からとらえ、また、広い内容を取り扱っています。そのような複雑な内容を明瞭な文章で解き明かし、絵や図、写真などを効果的に用いている点が特徴です。
「第1章 新約聖書とは何か」は、最初に書かれたのはパウロ書簡という前提のもと、各文書の成立過程を説明しています。ことにギリシア語写本の写真掲載は、聖書が人間の継承作業を経た歴史的文書であることを具体的に解説しています。また、その聖書の解釈へと論が展開し、そこに史的イエスの問題が深くかかわることを示し、「第2章 イエス」へと続きます。この章では、イエスの実在性について聖書外資料にも触れつつ、イエスに関する伝承と史実と推測について述べています。ここで注目すべき点は、「私家版『イエス伝』」として、著者自身の史的イエス像を明らかにしているところです。イエス像は、その人の信仰や思考に強く影響します。それが例示されているのです。この章の後半では、イエスのたとえの難解さについて、その社会的背景から説明し、トマス福音書にも触れています。
「第3章 パウロ」は、パウロの歴史性や神学について、信仰義認、十字架の強調という既存の要点を明快に説明しています。注目すべきは、パウロはイエスに会ったことがないと明言し、パウロがイエスを正しく理解していたのか、という問いをもって論じているところです。その問いを受けて、この章はパウロ理解の新潮流について言及して終わっています。
「第4章 新約聖書の個別文書について」は、いわゆる新約聖書概論です。ここを熟読するだけでも概論的知識の基礎は固められるでしょう。その概論を経て「第5章 新約聖書の全体的思想」に続きますが、ここは新約聖書神学の概論です。ことに「新約神学は可能か」という問いから始まっている点が重要です。評者も神学校の新約神学の授業を、必ずこの観点から始めますが、新約聖書神学という考察は自明の存在ではなく、諸要素が関わり成立するからです。その重要な要素の一つに、イエスの思想と活動に関する理解とその受容のあり方があるのですが、それについてユダヤ教や異端との対立との関係、イエスの神格化と教会の組織化との関係に触れつつ述べています。この章の結びにある、「読者もご自身の『新約聖書神学』を考えてみてほしい」という言葉は、読者の学ぶ動機を高めるでしょう。「第6章 『イエス』から『キリスト』へ」は、5章を補足するようにイエスの神格化、すなわちキリスト化の過程について述べています。
「第7章 聖書の記述の特徴」は、福音書の並行箇所における物語描写の相違について、歴史的観点だけではなく、共時的な観点からも論述しています。ペテロの否認の物語の相違点を、図式化?して比較・説明しているのは、大変面白い試みです。「第8章 新約時代の書物」は、新約時代の文書の様式、素材、媒体について説明しています。「第9章 新約聖書の成立と外典・偽典」は、新約聖書の継承過程には翻訳作業も含めた神学的編集があり、結果として外典・偽典が派生したことなどが述べられ、トマス福音書、ユダ福音書などについても触れています。
「第10章 新約聖書本文の研究と聖書翻訳」は、本文批評の歴史と意義から始まり、日本語訳の歴史について解説しています。本田哲郎訳や山浦玄嗣訳(ケセン語訳)などについても触れている点が、新しさを感じます。
本書は、日本聖公会の聖職養成機関の一つであるウイリアムス神学館の叢書です。しかし、読む人が誰であれ、様々な疑問に答え、また新たな問いと学びへと導く内容を持っています。新約聖書概論書の新しいあり方の一つといえるでしょう
菅原裕治
すがわら・ゆうじ=東京聖三一教会牧師、日本聖書神学校教授