現代人に向けた新しい伝記
〈評者〉山北宣久
本書は歴史学者でありドミニコ会の神父であるA・トムソンの著作を、カトリック信徒で伝記作家・翻訳家の持田鋼一郎氏が丁寧な解説を加えて翻訳出版されたものである。
訳者の文献案内によると日本人による主な著作で九冊、外国人著作・小説の翻訳書が一五冊、その他膨大な資料を加えると数え切れぬ位フランシスコ関連本がある中、今回の出版の意義は何処にあるのだろう。
それは一〇年前に選出されたローマ教皇ベルゴリオ枢機卿が初めてフランシスコを教皇名とし、「貧しさの人、平和の人」、「被造物を愛し、守った人」フランシスコこそ悩める現代に相応しいメッセージをもたらすことを就任挨拶で訴えたことの延長線上にある。
A・トムソンは多くの聖者伝説の背後にあるフランシスコの実像と人間性を抉り出し、「すべての人の僕」になる真の自由と従順が現代に最も必要であり、神の愛が人間の魂を造り変えることにあるとした。
四五年にわたるフランシスコの生涯を八つのエポックに分けて語る本書は、フランシスコの「複雑で個人的な葛藤」を描きつつ躍動感に満ちている。
回心の核心はハンセン病の療養所内にあったことを告げるが(四八頁)、貧者、病者救済よりも「聖体の秘跡の問題に、はるかに熱心に関心を持ち続け」(五一頁)、「ミサにふさわしく参加することは『すべてを超えて神を愛すること』を意味することに他ならない」とする(一七七頁)。「路上に居る」存在として、イエスの後継者たることを理解しつつも(七〇頁)「兄弟会」を組織していくが、その会則は「無数に引用した聖書の言葉が重要な意味を持ってい」た(一八七頁)。
その聖書の言葉を説く説教は「つねに彼自身の生活に発していた」(九一頁)。「フランシスコはいつも注意深く念入りに練り上げた言葉よりも、行動と仕草の人間」であり、「場合によっては踊ったり歌ったりさえして、群衆に話しかける熱っぽさで知られていた」(九二─九三頁)。
一方、アシジでの大きな出会いたるクララとの歩み(一〇〇頁)や、有名な「小鳥への説教」を中心とした動物への愛は創造者たる神を褒めたたえる行為たること(一一四頁、二七七頁)、さらには「聖痕」がキリストとの完全な一体化を目指す人生の頂点であったこと(二三四頁)、眼の痛みは主の受難を共有する機会であったこと(二五四頁)なども詳述されている。
「生涯を通じて、フランシスコは祈り、禁欲、孤独によって自分の魂を浄化するために遠隔地や隠遁の庵に身を引いた」(二二七頁)が晩年は激しい病苦に苛まされ、本格的な隠退を余儀なくされるが、それとても霊性深化の時として身を以っての証し、教導に結実させていく。そして「ようこそおいでくださいました、わたしの姉妹である死よ」(「兄弟なる太陽の賛歌」)と呟いて帰天していく。
出家から始まり家族、友人、主にある兄弟たちとの関係等の中で主への従順の軌跡が一貫して伝えられる。鬱病に苦しむ兄弟との共労(九五頁)も含め、現代人に向けた新しい伝記として本書は大きな価値を持つ。その現代的な意味について訳者が「甦るアシジの聖フランシスコ」と題して小論文を記しているのが実に印象的にして紙価を高める。
聖フランシスコの著作集、伝記資料集をキリスト教古典叢書として出版している教文館が本書を世に送り出してくれたことを感謝する。何よりも誠実な翻訳を全うされた持田鋼一郎氏に敬意を表するや切。
枯渇の度を増す世相にあって、豊かな霊性を注入し、人間性を取り戻させるフランシスコの伝記の決定版を手に取るべし。
山北宣久
やまきた・のぶひさ=日本基督教団教師・前出版局理事長