歴史書の信仰的意味を深く読み解く
〈評者〉藤井清邦
時折「旧約を読むと難解に感じ、どのように読めばよいか」と質問を頂くことがあります。旧約が難解に思えるのは、単に旧約に触れる機会が少ないことや、新約に比べて親しみが薄いという理由によるのではないでしょう。そこに記された御言葉を、どのように読み受けとめればよいか分からず、その理解に悩むからではないでしょうか。ですから、良い信仰の手引きを得ることによって、旧約に向き合う私たちは大きな助けを与えられます。
二〇二二年十一月、大野恵正先生が著された『旧約聖書入門4 現代に語りかける歴史書』が発刊されました。この旧約入門は、二〇一三年に第一冊目が発行されて以来シリーズで出版されているもので、いずれも優れた信仰の導きとなる書物です。
今回発行された第四冊目『現代に語りかける歴史書』は、ヨシュア記、士師記、サムエル記上・下、列王記上・下、歴代誌上・下、エズラ喜、ネヘミヤ記、ルツ紀、エステル記を扱ったものです。いずれも教会の礼拝で取り上げられることは少ない書物ですが、これら一つ一つの書物の概要を的確に示すと同時に、各書物の主要なテーマや出来事に焦点をあて、分かりやすく解説されています。
著者は、「歴史と言っても、近代的な世俗史(つまり「神」なしの歴史)とは違って、神ヤハウェとの関係の中で彼らイスラエルがどのように神との契約を守ろうとしたか、それに背くことによってどのような生活を余儀なくされ、ついにはどのようにして滅び去る経緯を辿ったかを描いています。…旧約の歴史叙述はすべてを射抜く神ヤハウェの眼差しから逃れ得ない性質を持っています。」(14頁)と記しておられ、そこに旧約の歴史書の信仰における深い意味が見つめられています。
この旧約聖書入門は、旧約の御言葉が、現代に生きる私たちへの慰めと励ましを語っていることに気付かせるものです。本文中には次のような一文があります。「聖書の言葉というものは多重性を持っていて、過去に語られた言葉がそれぞれの時の中で、新しい意味を帯びて人間を生かしたのです。私自身にしたところで、これまでの生涯で、幾度こうした事態に当面してこの呼びかけを聞いたかしれません。聖書の言葉はさまざまな状況にリアルな意味を持つのです。」(21頁)と。また、この書物を読み進めると、そこに主イエス・キリストの御姿が浮かび上がっていることに、感動と共に気付かされます。
著者である大野恵正先生は、長野県町教会、伊東教会、浜松教会を牧された後、長崎の活水女子大学でお働きになり、新共同訳聖書旧約部門翻訳委員としての働きも担われました。先生は長崎在任中、長崎古町教会で毎主日の礼拝を守っておられました。私は同教会の牧師として遣わされ、先生の礼拝者としての姿、教会員のために祈り心に寄り添っておられる姿を目の当たりにさせて頂きました。本書からは、聖書学の深い知識と神学的洞察はもとより、一人の牧者、信仰者として敬虔なる思いをもって御言葉に向かい、そこに語られる神の御心を受けとめながら歩んでこられた先生の信仰の姿を感じずにはいられません。
この旧約聖書入門シリーズは、旧約の御言葉に向き合う多くの方に、ぜひ手に取って頂きたい書物です。
藤井清邦
ふじい・きよくに=日本基督教団聖ヶ丘教会主任牧師