「誰が裁かれるべきなのか」―教会の戦争責任再考
〈評者〉豊川 慎
小塩海平氏(東京農業大学教授、日本キリスト教会東京告白教会長老)による本書は、かの戦争において宗教宣撫班員としてフィリピンに送られ、その後BC級戦犯として裁かれた中田善秋というキリスト者の前半生を、特に彼の戦争経験とその経験の内省を綴った手記などに注目して論じることにより、日本のキリスト教会の戦争責任問題の再考を読者に促す書であると言えよう。
本書は全5章から構成される。第1章「中田善秋とは誰か」において、著者は中田の出生から応召までを論じる。1941年、当時日本神学校の神学生であった中田は日本基督教団教師11名とともに陸軍軍属の宗教宣撫班員としてフィリピンに派遣された。米国によるフィリピン統治を一掃して「大東亜共栄圏」にフィリピンを組み込むという日本軍によるフィリピン占領の目的遂行に際し、大小数百を超えるフィリピンのプロテスタント教会を一つにまとめて合同教会を作り、アメリカの宣教母体からフィリピンのプロテスタント教会を独立させ、日本軍に協力的な教会を形成するための宗教宣撫工作が必要と考えられたのであった。
第2章「フィリピンでの活動」では、右記の宣撫目的に沿った宗教宣撫活動の内容や、一年あまりの宣撫工作を終えた後もフィリピンに留まった中田が「サンパブロ事件」という住民虐殺事件に巻き込まれ、BC級戦犯として裁かれるに至る経緯が論じられる。
第3章「フィリピンの戦犯裁判」では、戦犯裁判の開廷中に自身の思いを綴った手記が紹介される。たとえば、自身の無実を確信していた中田ではあるが、いかなる判決が下されようとも、神の御旨としてそれを引き受ける覚悟を綴り、イエスが十字架を一身に引き受けたように、自身もまたイエスの十字架を見据えて、「日本人の誰かがその代価を払わなければならない。私は喜んですすみます」との思いが手記には記されている。
第4章「スガモプリズン」では、BC級戦犯として30年の刑期を言い渡された中田がその後、日本の「スガモプリズン」に移送され、スガモに収監された他のキリスト者戦犯たちとともにキリスト者のグループを作り、同人誌『信友』を発行し、後に戦犯釈放運動がスガモの塀の外で盛んになる中、塀の内で戦争罪責について思索を深めていったことが『信友』の文章とともに紹介される。(『信友』はスガモプリズン内のキリスト者戦犯たちが戦争を顧み、戦争罪責の問題、講和問題や再軍備問題などについて考察を加えた貴重な資料である。「解題」を付した『信友』が昨年、不二出版社より復刻刊行されたことを付記しておきたい)。
第5章「釈放後の信仰生活」では、中田の日記(未公開資料)に綴られている心情の分析を通じて、日本の教会の戦争責任をあらためて問うている。本書は中田善秋という一信徒の戦争体験から当時の日本のキリスト教会の戦争への関わりに光を当てることにより、戦争罪責の問題を今後も教会が真摯に問い続ける必要性を示している。
評者は小塩氏とともにここ数年、中田善秋について共に研究を行ってきた者であり、本書はその共同研究の成果ともいえ、本書の出版を心から喜んでいる。多くの方に一読を薦めたい。特にキリスト教会の戦争責任について関心がある方には、ぜひ本書を手に取ってもらいたいと思う。中田善秋研究会のメンバーであった渡辺信夫先生と山川暁氏を偲びつつ。
豊川慎
とよかわ・しん=関東学院大学准教授、大学宗教主事