人は神にのみ従わなくてはならない
〈評者〉本多峰子
本書は横浜の田園都筑教会を創立の二〇〇四年から二十年間、主任牧師として育ててこられた相賀昇牧師の説教集です。相賀牧師の説教は、聖書の忠実な解き明かしであることにとどまらず、常に、歴史の中での教会のあり方、教会員のあり方、キリスト教信者であるなしにかかわらず、人間としてのあり方を聖書のメッセージに照らして問い直し、生きるしるべを与えてくれます。これは、田園都筑教会着任までの十二年間、ドイツで牧会なさり、学者としても、ナチス時代ヒトラーに“否”を突きつけたボンヘッファーやカール・バルトなどについて深く研究しておられることからでしょう。わたくしは田園都筑教会で先生に導きをいただいた一人ですが、この説教集には、控えめで決して自己主張なさらないながら、深く揺らがぬ海のような信仰を固く持たれている相賀牧師の賜物が集約されていると感じます。
相賀牧師が伝えるイエスは、弱い私たちと同じ、弱さをもった人間です。ゲツセマネの園で、イエスは不安に襲われ、もだえ苦しみました。そして、その苦しみを隠さず、共に祈ってほしいと弟子たちに言います。「他者に対してその苦しみを見せることは、他者に自分を開いてゆくことであり、ひいては神様の業にゆだねることではないかと思います」と牧師は書いています。「私たちはイエス様さえおののかれたことを知り、慰められます」と。弟子たちも、イエスが祈っているときに眠ってしまい、逮捕されたイエスを見捨て、否認してしまう弱さを持っています。そして、イエスが彼らの弱さを赦したこと、そして私たちが弱さや恐怖に負けてしまいそうなときにこそ、私たちの唯一の救い主となってくださることを思い出させてくれます。「わたしたちもまた、闇がどんなに深くても神様の愛と恵みと憐みによって克服されることを信じるべきではないでしょうか。そしてわたしたちもまたゲツセマネを覆っていた闇のような暗さの中で、『立て、行こう』と招かれるイエス様の後に従うべきであろうと思います。」
相賀牧師は、また、主イエスに従うとはどのようなことかも、本書の説教で語ってくれます。相賀牧師の読書量の多さと広さは教会員の知るところですが、牧師は社会的な問題意識と、苦難の中で神に結ばれて生きる人たちの声に真摯に耳を傾ける姿勢をもって読まれた本から、大切なメッセージを私たちに伝えてくれます。ナチス・ドイツでヒトラーではなく神に従い通したために処刑されたボンヘッファーの希望と復活信仰や、彼が獄中で語った隣人愛。人に理解されずともかまわず善い行いを続けなさいと教えるマザー・テレサの言葉。これらは、苦難の中で実際に神への信仰によって強められ、生かされ、他の人たちを生かしてきた人たちの言葉であるからこそ、私たちを強め、主にある生き方がいかなるものかを教えてくれます。信仰や教会は個人の問題にとどまらず、社会での問題でもあるとの気づきも与えてくれます。牧師は、「この世界の只中で、人と人とのかかわりの中で、そして私自身のなかで、イエス様は共に生きて働いておられます」と語り、教会がその確信を宣教と実践で広げてゆくことを呼びかけます。
本書は、一人で読んでも、聖書研究会で共に読んでもきっと豊かな恵みを得られる貴重な本の一冊です。