海老名弾正から見る近代日本の宗教史と社会思想史
〈評者〉李 元重
本書は、近代日本キリスト教史研究における「神道とキリスト教」「宗教と国家」「帝国と植民地」という三重の問題系を、海老名弾正という人物を軸に総合的に再検討した大部の研究である。本書の最大の特徴は、近年改めて照明されている海老名を、「神道理解」を媒介に彼独自のキリスト教理解と宗教思想だけでなく、社会思想を解明している点にある。
本書は全体を二部構成とし、第1部では海老名の神道理解そのものを、第2部ではその神道理解が形成した社会思想を扱う。著者は明治期日本キリスト教界における神道理解を整理し、松山高吉や植村正久らとの比較を通じて、海老名独自の立場を浮かび上がらせる。海老名は「天御中主神」や「天照大神」とキリスト教の神概念との接合を試みた。著者によれば、海老名は「宗教進化論」や自由主義神学の影響の下で、日本宗教を多神教から唯一神教への発展過程として理解し、日本固有の神概念をキリスト教的ロゴス論と調和させようとした。ここから海老名の「ロゴス・キリスト論的神道理解」が形成されたと分析される。
興味深いのは、著者が海老名の思想を単純な「国家神道迎合」として片付けていない点である。海老名は確かに「国体」や「敬神」精神を積極的に評価し、神社神道の「非宗教性」論にも接近した。しかし同時に、黒住教などの教派神道にも宗教的価値を認め、それらをキリスト教と接続しようとした。著者によると海老名は、「倫理」としての国家神道のみならず、「宗教」としての神道の可能性にも注目していた。
さらに本書の重要な貢献は、海老名の思想が日本帝国主義の拡大とともにどのように変容したかを具体的に追跡した点にある。著者は、朝鮮伝道論や「天皇帰一論」、さらには「帝国神道的キリスト教」という概念を通じて、海老名の神学が植民地支配と深く結びついていった過程を描き出す。とりわけ、朝鮮における「天照大神」の意味変化や、宗教的情熱を植民地統治に動員しようとする海老名の姿勢の分析は鋭い。ここには、日本キリスト教が帝国形成の主体の一部でもあったことが明らかにされている。
第2部では、海老名の社会思想が「大正デモクラシー」世代との比較の中で論じられる。吉野作造、柏木義円、賀川豊彦、石川三四郎らとの比較を通して、海老名の「デモクラシー」理解が、個人主義や自由を唱えながらも国家主義的・帝国主義的性格を内包していたことが指摘される。特に柏木義円との対比は印象的であり、同じ会衆主義的伝統に立ちながら、国家と戦争への態度が大きく分岐したことが示されている。さらに賀川豊彦との論争分析では、「神の国」理解や社会主義理解をめぐる対立を通して、海老名の楽天的歴史観と帝国主義的傾向が批判的に検討されている。
本書の方法論的長所は、神学史・思想史・植民地史・宗教史を横断的に統合している点にある。海老名の神道理解が軸に据えられ、宗教思想と社会思想が有機的に接続している。韓国側の研究成果を積極的に取り込み、国際的視野から論究している点も高く評価できる。本書は近代日本思想史・キリスト教史・植民地研究を志す者にとって必読書である。













