使徒言行録はおもしろい!これは今を生きる私たちの物語だ
〈評者〉吉村和雄
「使徒言行録はおもしろい」という帯の言葉に背中を押されるように読み始めました。
実際に読んでみて……面白いです。これまで使徒言行録を読んでいながら、今ひとつイメージがはっきりしなかった出来事やそこに登場する人々が、本書の中では実に生き生きとした姿を見せてくれています。「美しい門」のところで物乞いをしていた足の不自由な男や、ユダヤ人たちから石を投げつけられながら彼らを恨まず、その赦しを祈ったステファノなど、それぞれの人々や彼らに起こった出来事の詳細、またそれが教会の宣教にとってどのような意味をもっており、現代を生きる信仰者であるわたしたちに何を語りかけているかまで、著者の丁寧な説き明かしの言葉に心を動かされつつ読み進められて、退屈しません。
本書は著者である川﨑公平牧師が、自身が仕える鎌倉雪ノ下教会で毎月一度開かれている教会祈祷会で、二〇一七年から二〇二三年までの六年間、六〇回にわたって語り続けた話を、文章にしたものです。全部は載せきれないので、半分以上をそぎ落とすことになったと、後書きに書いてありますが、本にする以上やむを得ないことと思いつつ、もったいないことだと思わされます。
本書が面白いのは、著者自身が面白いと思いつつ使徒言行録を読み、それを説いているからです。「『新約聖書の中で一番おもしろい』と断定する勇気はありませんが」と言いつつ、心中密かにそう思っているのではないかと推測します。自分が語ることに自分自身が心を動かされていることは、情熱をもって面白く語るためには必須のことです。
もちろん、その面白さは表面的なものではなく、深い聖書の読みと、信仰的な洞察に支えられたものです。本書を読んでいると、著者が聖書の言葉をひとつひとつ丁寧に黙想し、そこから、二千年前にこの地上を生きた信仰者の姿と、彼らを支え、導き続けられた聖霊のお働きをきちんと読み取っていることがよくわかります。そしてそれは現代を生きるわたしたちの目を、今も働いておられる聖霊のお働きに向けさせます。ですから過去の物語が、単なる昔話ではなく、わたしたちに深く関わる話になるのです。
同時に、この本では、著者の対話の姿勢も明確です。聖書を読んで疑問に思うこと、受け入れがたいことをも、正直に書いています。献げた献金について嘘の申告をして裁かれた夫婦に関しては、神の前に立つ畏れを語りつつ、なぜ彼らが裁かれ、同じような罪を犯している自分たちが赦されているのかという疑問を、正直に述べています。著者のそのような姿勢もまた、そこで示されている問題を、わたしたち自身の問題として考えさせるのです。
これは講話であって説教ではありません。「主はこう言われる」という宣言がなされるわけではありません。それだけに、著者の言葉に心を動かされつつ一緒に聖書を読み、考えることができます。同時に、ここでなされているような、聖書を読み解く作業をもう一歩進めれば、説教になります。ですからこの本は、この文書から説教をしようと志す者にも、大きな助けになるものだと思います。