宗教改革期の第一級資料、初の全訳
〈評者〉金子晴勇
ゼバスティアン・フランク(Sebastian Franck, 1499-ca.1543)の主著『パラドクサ』は、宗教改革史の分離派によって説かれた第一級の原資料であって、このような重要な文献がドイツ語の専門家によって翻訳されたことは実に快挙としか言いようがない。
フランクは一五二五年にルター派に改宗し、ニュールンベルクの牧師となったが、神秘主義的な霊性主義者(再洗礼派のデンクやルターを批判するようになったシュベンクフェルト)と親しく交わり、その影響を受けて、「神の御霊による内的な照明」で充分であるから、外的な教会を決して設立すべきではないと説き、ルター派、ツヴィングリ派、再洗礼派に対抗する第四の立場を「御霊と信仰の一致における見えない、霊的な教会」として説き、大胆にも一切の教会制度と教義に反対した。
彼は人間の魂のなかに神の言葉を聞く能力があって、それを「魂の根底」(Seelengrund)という霊性の機能に見いだし、この神的なエレメントこそ人間の尊厳の徴であると説いた。この概念はドイツ神秘主義から発して、宗教経験の真の源泉とみなされていた。このような霊性に立つ思想家たちはディルタイによってルネサンス時代に普及した「万有在神論」であるとみなされ、近代思想の源泉であると解釈された。
彼がルターの「ハイデルベルク討論」に参加したかどうかは、不明瞭であるが、当時彼がハイデルベルクに住んでおり、その友人たちがこの討論に参加したことは記録に残っている。それゆえルターの影響は見逃せない。それは本書の主題「パラドクサ」と直結する。
ルターはこの討論で自分の思想を「逆説神学」と命名した。ところがエラスムスはそれを批判し、「逆説」を神学討論に用いるべきではない、と警告した。なぜなら「逆説」(パラドクサ)は「一般的な意見に逆らう」が原義であって、総じて討論に混乱を招くからである。ところが逆説はルターの思想を弁証法として展開させる契機となった。(例えば彼が挙げている事例を参照すると、「律法」が元来は良いものであるのに、これを実行しようとするとわたしたちを裁く悪いものに変化する。良いものが悪いものであるとすると、これは一般の人々には理解されない「逆説」である。それにもかかわらずこの逆説の否定を媒介して信仰に到達する「弁証法」の論理が形成された。)
ではこのような逆説をフランクはどのように考えたのか。彼は「パラドクサ」を「奇弁辞解」とみなし、神が隠した不可解な事態を解き明かす。こうして一般の人たちには不可解で、把握できない言辞が二八〇の命題によって提示され、その真意が豊かな学識を駆使して説き明かされる。しかもアウグスティヌスが『霊と文字』で提示した方法を自己流に解釈し、そこから彼の霊性思想を大胆に展開する。まことに恐るべき論敵がその豊かな学識でもってルターの宗教改革に登場する。真に興味深い歴史の一こまである。
金子晴勇
かねこ・はるお=岡山大学名誉教授、聖学院大学名誉教授