イエスに従う生き方へと招く親しみやすい講解
〈評者〉本多峰子
世界の新約聖書学を牽引する学者のひとりであり、英国国教会の司教でもあるN・T・ライトの新約聖書講解マタイ福音書の後半がついに、井出新氏の素晴らしい訳で出版されました。この講解書は、学術的にも高い基準で書かれ、専門の研究者にとっても新たに多くの知識と気づきを与えてくれるものでありながら、「すべての人のための」という題が示すように、一般の教会員や、キリスト教の外部にいる読者にもわかりやすく書かれています。
それぞれの単元は、まず聖書の訳、続いて私たちが身近に経験するような日常的なエピソードが語られ、一世紀の時代背景や聖書の語句の丁寧な説明を交えたテクスト解釈が続き、そのテクストの意味が私たちの生き方にどのようにかかわるか、読者に考えさせる展開で結ばれる構成になっています。
ことに特筆すべきは、この本の、わくわくするような魅力的な筆致です。一世紀に弟子たちに教えたイエスが、生きて今、私たちに語りかけているのを聞いているような、知的にも感情的にも鼓舞される、深く動かされる刺激を、この本は与えてくれるのです。
イエスは出会った人のすべてに、今までの自分の生き方を振り返り、神に立ち帰り、新たな生き方に踏み出すことを求めました。イエスの福音は「すべての人のための」福音だったのです。そのような意味では、ライトのこの本は、「すべての人のためのマタイ福音書」の講解、であると言えます。ライトは前書きで、「マタイ福音書が描くイエスは豊かで多面的です。イスラエルのメシア、この世を治め、救う王、モーセよりもなお偉大な教師、もちろん、われわれすべてのために自分の命を与える人の子としても描かれます。マタイはこうしたイメージを一つ一つ並べていき、われわれが福音書のメッセージから知恵を学び、新しい生活スタイルを身に付けるようにと招きます」(八頁)と書いています。実際、イエスに出会った人は、それ以前と同じではいられません。イエスは人々に教え、問いかけました。ライトは、イエスの問いかけが私たちの現在の世界で、私たち自身にいかに直接に突き付けられているかを実感させます。たとえば、道で物乞いをしている人たち、ホームレスの人たちに、私たちが目をつぶって通り過ぎ、よけて歩きたいと思うような時には、「もしあなたの目があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。両目揃ったまま地獄に投げ込まれるより片目だけで命に入る方がよい」というイエスの教えを思い出すように、ライトは書いています。「最初にイエスが提起した容赦のない問いかけを、今日、これらすべての小さな者たちが、同じように私たちに突きつけているのです」(六三頁)と。
今もイエスは働いており、命を与えるイエスの愛の支配下に世界を移している、そしてそれは、「イエスに従う私たちを通して、という驚くべき方法」(三〇三頁)によってなのだとライトは言います。この講解書は、聖書に何が書かれているか、だけではなく、聖書が私たちに何を問いかけ、何を求めているかを伝え、私たちを新しい生き方に誘ってくれます。マタイ福音書が最初の読者たちに語りかけたように。
本多峰子
ほんだ・みねこ=二松学舎大学教授、八王子栄光教会牧師