世界平和の実践のために
〈評者〉山口希生
N・T・ライトはローマ書簡を四楽章から成る交響曲に見立てています(本書一四六頁)。本講解シリーズ9の「ローマ書1」では第一、第二楽章にあたる「一─四章」と「五─八章」に、そして本書「ローマ書2」では第三、第四楽章に相当する箇所に注解が施されています。具体的には、ユダヤ人のメシア・イエスへの不信仰という深刻な問題を扱った「九─一一章」が第三楽章で、キリスト者としての具体的な歩みについて教える「一〇─一五章」がフィナーレの第四楽章だということです(一六章は挨拶、あとがきに相当します)。大使徒パウロのマスターピースであるローマ書に匹敵する交響曲をクラシック音楽から探すならば、ベートーヴェンの第九ほど相応しい曲はないでしょうが、このジャンルの全く異なる二つの傑作には興味深い類似点があります。ベートーヴェンは当時の交響曲の慣例を破って、第二楽章ではなく第三楽章に祈りにも似た緩徐楽章を置きましたが、それがこの交響曲に何とも言えない深みを与えました。パウロの九─一一章も祈りとも思えるようなパウロの個人的な心情を吐露した箇所ですが、イスラエルの躓きが、異邦人を救いに導くというイスラエルの召命を逆説的に果たす結果となることを、ライトは丁寧に説明しています。族長ヨセフの兄弟たちがヨセフに働いた悪が、結果的には異邦人にもイスラエル人にも益となったように、ユダヤ人の悲しむべき現状が、ついにはユダヤ人と異邦人から成る一つの家族へと結実していくというパウロのヴィジョンを、本書は感動的に描いています。
第九の第四楽章も、これまた交響曲には革命的なことに、合唱が導入されています。そのテーマはシラーの詩の通りに「人類愛」なのですが、パウロの一三─一五章のテーマも、民族や国境の壁を乗り越えた普遍的な共同体、神の家族をいかにして作り上げるのか、ということにあります。ガラテヤ書では、異邦人信徒がモーセ律法を行うことに強硬に反対したパウロですが、このローマ書ではモーセ律法を遵守しようとするユダヤ人信徒に最大限配慮するようにと、異邦人信徒に呼びかけています。つまり、パウロが律法に反対したり、あるいは擁護したりするのは、「(行いの)律法」対「(信仰のみの)福音」というような神学的二項対立によるのではなく、教会内の一致を保つためだったということです。ベートーヴェンの夢見た人類愛がいかにして達成されるのか、その具体的な道しるべを示しているのがローマ書一三─一五章だということです。ライトはローマ書のメインテーマを、「イスラエルを通して、神はすべての国の人々を救いと賛美の単一の民として招集している、これこそが常に約束の目的でした」(一四九頁)と簡潔に記しています。
ライトによる「ローマ書1、2」はいずれのセクションも味わい深く、ユーモラスな表現に溢れた素晴らしい注解書ですが、その中でも特に本書九一頁以降は、民族対立が未だに世界各地に深い分裂や悲劇を生み出している世界に生きる今日のキリスト者が、平和づくりを実践していくために注意深く読むべき箇所だと思われます。よりよい実践のためには、よりよい思考が不可欠です。ローマ書の良きガイドとして、本書は私たちの「思考の変化」(九四頁)を大いに助けてくれるでしょう。
山口希生
やまぐち・のりお= 日本同盟基督教団中原キリスト教会牧師