北海道で伝道・社会活動に励み「和解」を追求した宣教師の歩み
〈評者〉小原克博
教会教を越えて
ハウレット宣教師が北海道で見つけたもの
フロイド・ハウレット著
大倉一郎訳
A5判・300頁・定価1980円・日本キリスト教団出版局
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本書は、カナダ合同教会の宣教師として妻ドリーンと共に来日し、一九五一〜八一年の三〇年にわたって、北海道北部の名寄市を中心に宣教活動に携わったフロイド・ハウレットの自伝である。ハウレットは日本基督教団との協定に基づいて派遣され、教団の諸教会や牧師たちと深い関わり合いを持つことになった。ハウレットが日本を離れた十数年後に、私は札幌で牧会者としての歩みを始めたということもあって、本書の中で記されている北海道の光景や地名、直接・間接に知っている人々の名前を目にするたびに、彼が記す北海道での出会いや出来事に引き込まれていった。ハウレットの働きの後継者となった、本書の「日本語版まえがき」を記しているロバート・ウィットマー宣教師(現在、農村伝道神学校校長)と初めて出会ったのも北海道においてであった。
では、特に北海道や宣教師の活動に関わりのない人にとって、一宣教師の自伝はどのような意味を持つのだろうか。本書は、「歩んできた道には、いつも興味が尽きず、新たな挑戦と期待に満ちていた」(二六三頁)と語るハウレットの冒険的人生を通じて、彼が生きた戦後日本を、そして、宣教の歴史を振り返り、そこにあった課題が何であったのかを読者はあらためて確認することができるだろう。日本キリスト教史において宣教師が果たした役割は時代によって異なる。本書は、戦後日本においても宣教師が固有の働きと貢献をしたことを示すだけでなく、国や文化の違いを越えた交流が、それまで見えなかった地平を双方に開いていく宣教的意義を具体的な事例を通じて教えてくれる。
ハウレットは若い頃にフェアバアン牧師ら平和主義者の影響を受け、戦争やそれがもたらした悲劇(日系カナダ人の強制収容や原爆投下等)に鋭敏な目を注ぎ、戦争などの不正義によって引き裂かれた人々の間の「和解」を追求した。本書では、彼が日本で経験した様々な社会問題についても触れられている。そして、彼が「教会教(Churchianity)を越えて」というタイトルを本書につけたのも、そのことに関係している。
「教会教」という、ほとんどの辞書に掲載されていない言葉を使うにあたり、ハウレットは「擬似的キリスト教を中心に据えた教会から、本物のキリスト教を分離する挑戦」(一一頁)として自らの人生を要約している。彼の視点からすれば、地域の問題であれ、国際的な問題であれ、人々の苦しみに関わる正義や平和の課題に向き合わない教会は「擬似的キリスト教」であり、組織維持を目的とする「教会教」ということになる。
本書は一二章から成っている。一章から九章まではハウレットの信仰的旅路を、そこで出会った人々を交えて生き生きと記している。最後の三章はその旅路を神学的に考察したものになっている。彼が解放の神学の様々な潮流から影響を受けていることや、日本という宣教の場において日本の諸宗教に関心を向けていたことがわかる。
本書が、安心して読むことのできる正確な訳出となっていることの背景には、多大な努力を惜しまなかった訳者と、それを手助けした同労者たちの存在がある。ハウレットの宣教的情熱に連なる人々の思いが結実した一書である。
小原克博
こはら・かつひろ=同志社大学神学部教授