クレメンス関係のすべての邦訳が完成!
〈評者〉小高 毅
キリスト教教父著作集 5
アレクサンドリアのクレメンス 3
『パイダゴーゴス』(訓導者)他
アレクサンドリアのクレメンス著
秋山 学訳
A5判・648頁・定価13200円・教文館
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クレメンスの著作はしっかりとした意図のもとに組み立てられており、三部作を成していることはほぼ定説となっている。第一作にあたるのは本巻の二番目に掲載された『プロトレプティコス』(ギリシア人への勧告)、第二作に位置づけられのが『パイダゴーゴス』(訓導者)、量的にも大部を成す『ストロマテイス』が第三部に位置づけられる。その構成を訳者は次のように指摘している。『プロトレプティコス』は「異教徒ギリシア人」に対する「キリスト教入信」に向けての「勧告」であり、それを受け継いで著述された『パイダゴーゴス』はキリスト教倫理の基本的原則を記述しており、第三作にあたる『ストロマテイス』は、多様な神学的諸問題を扱いつつ、霊的にも知的にも完成された「覚知者」(グノースティコス)に至る道程を記述する作品である。「グノースティコス」というと初代教会においてキリスト教にとって脅威となった「グノーシス主義」との関係が問われることになろう。それを知る材料となるのが『テオドトスからの抜粋』である。当然、『ストロマテイス』の中でもグノーシス主義者たちへの批判を展開しているが、本巻に収録された『救われる富者とは誰であるか』にも次のような言葉が見られる。
「生命に関わる教えのうち最大で最も肝要なものとは、永遠にして永遠性の与え手、第一にして至高、一なる善き神を知ることである。……神は覚知と認識とによって捉えることができる。……神に関する無知は死であるのに対して、神に対する知識、親しさ、神への愛、そして神に似ることのみが生命だからである」(七・1─3、四九五頁)。
このように知識を重視しているが、「救いのための最上の道として」愛を掲げる。この愛こそがキリストの受肉と受難にまで至る動機となるものである。
「父は愛することによって弱き者となり、そのことの偉大なる証しが、彼自身が自ら産んだものである。そして愛から生まれた実りも愛である。彼自らが身をへりくだらせ、人間性を身に帯び、人間の痛みを進んで受けたのも、すべてこのためである」(同上三七・1─3、五二七頁)。
そしてもう一つ興味深い点を挙げておこう。『パイダゴーゴス』(訓導者)である。訳者は同書の解説で次のように述べている。
「本作品の第一巻では、神による教育、すなわちわれわれのための『教育者』たるロゴス(『御言葉』)・キリストによる神的教育の総論が述べられる……第二・第三巻では、服装、髪型、履物、貴金属、化粧、香油や花冠、食物、飲物、飲酒、沐浴、睡眠、家財道具、饗宴、笑い、猥雑な言説(の禁止)、性倫理、家庭生活、薬草の使用、観劇、舞踏、音楽、肉体の鍛錬など、実に多岐にわたるテーマが取り上げられる。これらすべてが、いずれも純粋に霊的かつキリスト教的な視点のもとに置かれ、論じられているのが本作品の特徴である……紀元後二世紀における『キリスト教的礼儀作法』のありのままの姿を見出すことができよう。教父文献の中、これほどまでに古代世界における生活の日常を活写した著作は他に類例を見ず、その意味でも本著作は不朽の価値を有する」(二六七─二六八頁)。
小高毅
おだか・たけし=フランシスコ会士・司祭