20世紀を代表するキリスト教書 胸打つ新訳で登場!
〈評者〉関谷共美
ナウエン・セレクション
傷ついた癒やし人 新版
ヘンリ・ナウエン著
渡辺順子訳
酒井陽介解説
四六判・268八頁・定価1980円・日本キリスト教団出版局
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一言一句に新たな命が吹き入れられたヘンリ・ナウエン著『傷ついた癒やし人』の胸打つ新訳が刊行された。本書の核心は〈援助者の自己理解と再生〉にある。
近年いのちと向き合う現場では、対人援助職者のバーンアウト(燃えつき症候群)が深刻な課題となっている。対人援助職者のみならず、家族や友人の病や死、老いに直面する人の心の奥底には無力感や罪責感、怒りや絶望、悲しみ、虚しさなど為すすべもない喪失感が深く沈殿していく。「現代社会において牧会者〔援助者〕であるとは、いったい何を意味するのだろうか」(11ページ、〔 〕内評者)。この「意味」への問いは、現代に生きるすべての援助者の悲痛な叫びである。
一九七二年初版の本書は、この「意味」探求の道筋をカール・ロジャーズ(臨床心理学)やデイヴィッド・リースマン(社会科学)、ロバート・リフトン(精神医学)、ジェイムズ・ヒルマン(精神分析)ら当時最先端の科学的・臨床的研究成果をふまえて提示しているゆえに、コンテクストの変遷にもかかわらず今なおその本質は色あせることがない。
著者によると、「傷ついた癒やし人」とは「自己実現あるいは自己達成の概念とは矛盾せず、むしろそれを深め、広げる」概念である(131ページ)。この主張は、人間の喪失(crisis)を見つめ続け悲嘆研究にパラダイムシフトをもたらしたメンフィス大学教授ロバート・A・ニーマイアーの提示する「悲しむこととは、喪失によって揺らいだ意味世界の再確認、再構成を必然的にもたらすこと」という概念と深く関連する。いずれも喪失の〈有益性〉に注目し〈喪失後の成長〉の可能性を説いている。
「自分の傷を癒やしの源とする方法をより深く理解することなしには」他者を癒やすことはできない。傷ついた他者に関わる出発点とは「苦しみによって傷つけられた〔自分の〕心」を知ることであり、「〔その〕心から出た行為でないのであれば、その奉仕は本物とは見なされないだろう」(13ページ)。なにより「他者に注意を払う」ためには「自分の生の中心を自分の心のなかに見出さなければならない」(133~134ページ)と著者は述べる。自己の喪失に創造的に向き合い、そこに意味を見出していく過程(体験)にこそ、他者の喪失を支える豊かな源泉があることを本書は一貫して語っている。
「私たちの孤独の傷は本当に深い」(128ページ)。傷口からほとばしり出るようなナウエンの言葉に評者は心打たれる。本書の生命力は、自らの霊的側面と性的指向に悩み葛藤し、傷つき、その傷に包帯を巻きながら(120~121ページ)悲しむ人に寄り添い続けたナウエンの生き様にあり、自分の心を見つめ、その暗闇の深淵から神を見上げて「生ける真理」(142ページ)に触れたナウエンその人のナラティヴ(物語)にこそある。
「自分自身の痛みを深く理解することによって、私たちは自分の弱さを力に変えることができる」(129ページ)という著者の言葉は、キリストゆえに自己の意味を喪失し、キリストゆえに自己の意味を再生したパウロの言葉に響き合う。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。……むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。……なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリント12・9~10)。
たとえ弱く無力な私たちであっても、恐れず自己の中心へと向かいそこに沈潜する孤独に触れるとき、「私たちより大きな心を持つ御方」の業を教えられる。「生きるとは愛されるという意味なのだと、私たちは知るようになる」(135ページ)。痛みから湧き出る著者の言葉の背後から、「それでよい」という神の語りかけが聞こえるような一書である。生きる「意味」を求める多くの方に一読を薦めたい。
関谷共美
せきや・ともみ=日本基督教団南大阪教会伝道師、公認心理師、精神保健福祉士