キリシタン研究の現状を語る示唆に富んだ論集
〈評者〉根占献一
本書は、編者川村信三の序章「キリシタン研究の過去・現在・未来」から最後の第八章森脇優紀「イエズス会宣教師と紙」まで全九章から成り立つ。各章ごとに九人の筆者がキリシタン研究の現況を語っている。いずれもこれまでの成果を踏まえながら、これを批判的に継承し今後の課題にしようとする姿勢で貫かれる学術書である。
その中で他の章に比べて異質なのは最終章であろう。和紙が世界的に名高いことは言を俟たないが、それは当該のキリシタン時代でも外国人宣教師が気づいた点であった。
またそれだけではない。小著『東西ルネサンスの邂逅─南蛮と禰寝氏の歴史的世界を求めて』(1998年)を書くにあたって、来日外国人が当時の日本列島人が懐紙を忍ばせ、また贈り物などの際の包み紙に気を配る様子に感心するさまを知るにつけ、ティッシュペーパーと包装文化の前史がここにはあったと思ったものである。
森脇はしかし印刷用紙などの科学的な分析を詳らかにして離日したイエズス会士がマニラで和紙を用いていることに言及し、比較文明論を超えて紙質に迫る。先駆的研究者の一人である井手勝美は、トインビーの文明論的考察に示唆されて日本人のキリスト教「受容」を問うてキリシタン思想史に取り組んだ。この受容に関して鋭い分析を行うのは第一章の東馬場郁生である。東馬場によるキリシタンの平仮名表記の意義は知られるようになっていよう。また一、二次文献の理解や翻訳に関わる見解を示す一方で、この時代研究の発信のために英語発表を勧めている。私などがこのキリシタン史に発言ができるのは研究者たちが営々と一次文献の翻訳を重ねてきたことにある、と思っている。抑々あの時代の邦人たちもまた文献翻訳に努めていた。翻訳は解釈の試みであり、受容の在りかたに反映されている。
史料読解の重要性は日本史家の村井早苗、清水有子、大橋幸泰の第二、三、四章で端的に明らかにされ、三氏の論拠となる。ただ精神史家からは異なる文献資料の読みがあろうし、大橋の「属性」使用にはとまどうが、論旨は具体的である。村井早苗の絵踏に至る研究史は清水の禁制史とともに今後の導きとなるであろう。奇しくも両氏に「イベリア(イベリアン?)・インパクト」言及があって興味深い。評者は自らの思想研究上、浅見雅一による良心問題、狭間芳樹による死生観、そして安廷苑による細川ガラシア考察の第五、六、七各章には示唆を受ける点が多々あった。これらには「受容」の歴史から生まれた精神史の諸問題が看取され、さらに研究の深化が望まれる。
更に評者はルネサンスの歴史的人物たちから信心会(兄弟会、コンフラリア)と出会って興味を持った。フィレンツェのミゼリコルディアは今も活動している。川村は序章で信心会を捉えた経緯の学究体験を語っており、懐かしくこれを読むことができたと付け加えたい。
キリシタン歴史探求の現在と未来
川村信三編
キリスト教史学会監修
四六判・268頁・2640円(税込)・教文館
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根占献一
ねじめ・けんいち=学習院女子大学名誉教授