福音の喜びにあずかる
〈評者〉福嶋裕子
どうしてもこの人の説教集は読んだほうが良いと思える。何故なのだろう。そんな不純な動機で、この本を手にした。不純というのは、この説教者の秘密が知りたいからである。ここに記された説教がなぜ素晴らしいのか、それがわかれば自分も「優れた説教」ができるようになるのではないか、というのは下心の部類であって説教を聞く者の態度ではない。それは承知していても、不肖の教え子が、高座にのぼった師匠の手元を幕の陰から覗きこむような気持ちがなかったとは言い切れない。
じつは本書は『コリントの信徒への手紙一講話』というタイトルが示すように教会の礼拝での説教ではなくて、FEBCラジオ放送の番組での講話である。だがそれは間違いなく「説教」として語られたもので、説教者は小さなカードに要点を記し、しかしそのカードを頼りにするというより、目の前の聖書とデジタルの時計を見ながら、マイクの向こうで耳を傾けてくださる一人ひとりの姿を思い浮かべながら語りかけたのだという。これは苦行ではないだろうか。
説教者は、文字となった原稿を読み返すとなつかしく楽しいときだったと「あとがき」で述べているが、聴衆の反応を肌で感じることなく話し続けるためには、それ相応の覚悟とさらには経験に裏打ちされた熟慮が必要だと推測する。この語りかけを「聖霊の導き、み言葉の導きを信じて。かけがえのない時でした」と説教者は述べるが、その裏にどれだけの祈りと黙想と研鑽のときがあったことかと思う。
個人的に好きだったエピソードは「トップドッグとアンダードッグ」(54頁)、それと「熟練した建築家」(94頁)。笑う箇所ではないが、どちらも心のなかでクスリと笑ってしまい忘れることができない。淡々とした口調にのせられ、ぬか喜びするアンダードッグや冴えない建築家の姿を思い浮かべたところでピシャリとやられてしまった。
読み進めながら、どれも心に沁みる。これも私のお気に入りの紹介になるが、「すべては私たちのもの」というタイトルの説教は、波のように寄せては引くロジックの中で「一切はキリストのみ手のなかにあります」という短文がキュッと全体を締めて結論部分に入っていき、どこまでも驚くべき「神の恵み」が語られ、祈りにみちびかれる。
パウロ自身がときに福音の喜びにかられ、ときに自分の心を痛めつつも教会員の罪を厳しく責めたて、呻吟するようにして口述筆記された手紙の緩急をそのままに伝えるような説教者の語り口である。コリントの信徒への手紙一には聖書学者の議論が百花繚乱で収拾がつかない部分も少なくない。しかしまた、かの有名なともいうべき「愛の賛歌」もこの手紙に収録されている。ジェットコースターのように山あり谷ありと現れてくる問題箇所を頭で解説するのではなく、説教者の思索と経験と祈りに誠実に照らし合わせ、共に福音にあずかることの畏れと喜びの刻印を確実に残していく説教と祈りの言葉をおさめた書である。
加藤常昭説教全集32
コリントの信徒への手紙一講話
加藤常昭著
四六判・454頁・定価4290円・教文館
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福嶋裕子
ふくしま・ゆうこ=青山学院大学宗教主任・理工学部教授