物質文化を通して人間存在の根源にまで及ぶ視線
〈評者〉山野貴彦
遺跡が語る聖書の世界
長谷川修一 著
四六判 ・300頁・定価2310円・新教出版社
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聖書考古学という学術分野は、踏査や発掘調査、遺物分析を通して聖書に見られる歴史的記述にアプローチし、聖書世界の物質文化を今に知らせる貴重な役割を担う。海外においても聖書考古学関連の学術書・研究論文は多く見られる。
その聖書考古学の第一人者として国内外で知られるのが本書の著者長谷川修一氏である。『遺跡が語る聖書の世界』という興味深いタイトルの本書は、かつて氏が『福音と世界』(新教出版社)二〇一九年一月号から二〇二〇年十二月号まで全二十四回にわたって連載した主題を一冊にまとめたもので、単行本化にあたり連載時の文章に加筆が施され、気持ちをあらたに読むことができる書物となっている。
扱われている主題は、「住まい」、「ワイン」、「ビール」、「ファッション」、「パン」、「オリーヴ」、「碑文」、「紀年法と貨幣」、「エルサレム神殿」、「会堂」、「市壁」、「市門」、「列柱付き建造物」、「印章」、「契約」、「音楽」、「交易」、「葬送と墓制」、「戦争」というように、人間生活の様々な局面に関するものとなっている。そしてこれらの事物は言うまでもなく、聖書においてもきわめて重要な意味を有している。
ユダヤ教においてもキリスト教においても重要な飲食物である「ワイン」や「パン」は聖書時代にどのように作られ人々に供せられていたか。旧約・新約という言葉に現れる「契約」思想の内実とは何か、どのような考古史料が現存しているのか。イエスがしばしば訪れたと記される「住まい」や「会堂」とはどのような建物であったか等々、本書はそのような問いに対して物質文化の側面から多くの情報を提供してくれる。なお、「葬送と墓制」および「戦争」の章はそれぞれ三つずつ合計で六章と、本書全体の四分の一を占めている。これは日々の当たり前に思える生活の中にこそある人間存在の意義、人間の尊厳といった事柄に注意して諸々の著作に取り組んでいる著者の深い問題意識を明確に示していると言えよう。
内容的にはいずれの章においても、その主題に即した聖書本文、歴史的な背景、考古学的な知見、遺跡・遺構の解説などが専門家ならではの視点で記されている。また、著者が旅や研究で訪れた現地において経験された出来事や想いも豊かな表現力で示される。評者も研究のために聖書の舞台となった地を少しく旅したことがあるが、本書で言及されている著者の様々な人々との出会いの描写には思わず共感を覚えた。
本書は、聖書学と聖書考古学の知見を組み合わせ、旧約聖書の中で古代イスラエルの民が見ていた風景、新約聖書においてナザレのイエスや彼にかかわった人々が見ていた風景を私たちに垣間見せてくれる。COVID-19 問題のため、残念ながら今しばらく海外への旅行は容易ではないと思われる。しかし、やがて再び聖書の舞台となった地域へ出かけることが可能になった際には、古代の聖書世界の物質文化を見事に紹介しているこの書物をカバンの中に入れて旅のお伴にすることをお勧めしたい。その旅に備え、しばし本書で予習をしておこう。遺跡が見せる風景は、聖書世界のイメージを何倍にも膨らませてくれる。本書はそのための最適な案内書である。
山野貴彦
やまの・たかひこ=聖公会神学院専任教員
- 2022年4月1日