聖書を物語や小説として読み解くための手掛かり 〈評者〉金井美彦
旧約聖書の物語解釈
川中 仁編
四六判・一六七頁・本体一五〇〇円+ 税・リトン
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言うまでもなく、権威主義的聖書解釈はすでに時代遅れである。聖書を一つの「テクスト」として、あるいは「物語」として読む可能性が開かれるべきだろう。その一つの実現が本書であると言ってよい。まず、水野隆一氏の「アブラハム物語を読む」。氏はいわゆる文芸批評的アプローチをとるのだが、まとめると次のようなものだ。「意味は読書によって創造される」「テクストの外に解釈の要因を求めない」「唯一の正しい解釈をもとめない」。では、いったいどうなるのかとつい期待してしまう。そしてその期待を裏切らない。氏はフェミニズム的聖書解釈で知られるフィリス・トリブルの仕事に言及しつつ、アブラハム物語を読み解いていく。目から鱗なのは、アブラハムと二人の妻(正妻サライと側室ハガル)の関係、イシュマエルとイサクに関わる二人の妻の確執、正妻の優遇、ハガル母子の追放とその後の顛末についての語りの分析から、この物語の隠れた主題がイシュマエルの祝福にあることが示された点だ。線状的に読むだけではわからない、物語の重層性に目が開かれる思いである。続いて中村信博氏の「「ダビデ王位継承物語」の真相――女性たちの悲劇と知恵をめぐって」。氏はサムエル記下九章から列王記上二章までのいわゆる「ダビデの王位継承史」を、「歴史」としてでなく、「物語」として読む。しかも、氏はこの「ダビデの王位継承史」を「ダビデの台頭史」(サム上一六章~サム下八章)から独立した物語と位置付けたうえで、読解を行うのである。その中で氏の一番の関心は、この継承物語における三人の女性にある。バトシェバとタマル、もう一人は「テコア出身の女性」である。中村氏はこの三人の女性たちを描く視点から王位継承の経緯にいかなる深層が語られているのかを探っていく。最後に月本昭男氏の論考。氏は歴史書に組み込まれた物語ではなく、独立した一書として伝えらえた三つの物語(ルツ記、ヨナ書、エステル記)の構造と主題を探る。まず、物語分析の方法論について概略される。はじめに、鍵語・鍵語句を取り出すことの重要性を指摘する。続いて分析の肝となる修辞法、すなわち「交差配列法」「集中構造」「枠構造」に言及する。ただし、月本氏は分析対象の単位が恣意的となりがちなことなどから、この分析方法にやや懐疑的である。続いてレヴィ= ストロースの構造分析を紹介し、さらにA・J・グレマスの「構造意味論」を取り上げ、彼の取り出した物語構造を高く評価したうえで、それを念頭に三つの物語を分析すると、その構造にうまく当てはまる。しかし、氏は物語構造分析において確かに「構造」は取り出せるとしても、すなわち、ともにペルシア時代のテクストであるエステル記とルツ記の構造が同じであるとしても、その思想や信仰は全く対照的であるのに、そのことを鮮明にしてくれない点に注意を促す。そして物語論的研究が歴史批判的、思想史的研究によって補われなければならないことを指摘して閉じている。宗教史学・考古学・旧約学のすべてに通暁する月本氏が、構造主義的方法による物語分析の大きな可能性と、他方、限界も同時に明らかにしているのは実に興味深い。以上、簡単にご紹介したが、本書は聖書を文学、特に物語や小説として読み解くための手掛かりとなるのは間違いない。
金井美彦
かない・よしひこ=日本基督教団砧教会牧師
- 2023年6月1日