知られざる地方伝道史の克明な記録
〈評者〉山口陽一
本書は、日本キリスト改革派中津川教会で戦中戦後の三十八年間を牧師として生きた水垣清(一九〇六─八八年)が、伝道雑誌『つのぶえ』の第三四三─四二九号(一九七八年十月─一九八五年十二月)に八十七回にわたって連載した「(岐阜県)「キリスト教史覚書」」を、金城学院大学キリスト教文化研究所が監修してまとめたものである。キリシタン時代から戦後まで、岐阜県のキリスト教史を教派を超えて辿る通史であり、日本全国を見渡しても、福島恒雄『北海道キリスト教史』(一九八二年)、石川政秀『沖縄キリスト教史』(一九九四年)を除けば類例がない。
第一章「美濃のキリシタン」においては、L・フロイスの岐阜城訪問など周知のことは簡潔に記し、岐阜県に関わるキリシタン関連の人物を網羅して紹介し、特徴である可児郡塩村・帷子村などの潜伏キリシタン弾圧の痕跡に焦点をあてている。飛驒国大野郡の明和八(一七七一)年の南蛮誓詞など一次史料の発見に基づく記述は、著者の探求の深さを示している。日本誓詞には地方色があり、「殊に弥陀釈迦二尊を初め祖師の本願に洩れ」は、浄土真宗の地盤ならではと思われた。
第二章「明治のキリスト者」では中央で活躍した千村五郎、戸田欽堂、南小柿洲吾が出身地の視点で紹介され新鮮である。『天道遡源解』を著したのは千村五郎であるというのは新事実と思われるので典拠が知りたかった。第三章「岐阜県伝道のさきがけ」では、中津川教会の初代西森拙三牧師の、平田国学から自由民権を経てキリスト教へという思想の流れに注目して高く評価し、海津郡の佐久間国三郎のキリスト教講義所を紹介する。佐久間家の長男がカネボウの武藤山治であり、武藤の信仰のルーツを知ることができた。
第四─六章では、岐阜を中心に西濃・中濃、多治見から恵那までの東濃と地域ごとの伝道が、南長老ミッション・日本基督教会を中心に、聖公会、メソヂスト、ホーリネスを網羅して語られ、飛驒では日本同盟基督協会の伝道が生き生きと記される。第七章「大正・昭和初期の伝道と教会」では大垣の美濃ミッションの神社参拝拒否が大きく取り上げられる。
圧巻は、第八─十章の「日本基督教団の成立」「教会の戦時体制」「戦後のキリスト教会」である。一九四一年に中津川教会に赴任した水垣清牧師には、最初から特高刑事がついていた。宗教団体法に基づく教会合同と部制廃止に対して日本基督教会浪速中会から起こされた教会論的な反対論、聖公会中部教区内教会の非加入の動きなどが克明に記されている。ホーリネス系教会への弾圧と解散の後、信徒たちを支援する水垣牧師の活動、敗戦前後の岐阜の諸教会の被災状況を伝える浅倉重雄前岐阜支教区長の著者宛書簡など、貴重な資料を用いた細やかな記録は、力を合わせて信徒たちを守ろうとした得難い記録である。そして戦後、占領下の教会再建が当事者目線で記され、特に日本基督改革派教会の教会を聖書的に再建しようとする教師たちの見識には敬服させられた。
付録として「南長老教会の三M」J・A・マカルピン夫妻、W・A・マキルエン、L・W・モーア(これは石井正治郎による)の略伝がある。
各県ごとのキリスト教史には特徴があり、これを日本キリスト教史の記述に反映させることは課題である。群馬や岡山は日本組合教会、山梨・長野はカナダメソヂスト、茨城はキリストの教会を抜きに語ることができない。『日本キリスト教歴史大事典』(一九八八年)の各県の項目はそのための基礎作業であったが、本書が各県キリスト教史研究の呼び水となることを願ってやまない。
山口陽一
やまぐち・よういち=東京基督教大学特任教授