キリスト教とは何かを手軽に学べる入門書
〈評者〉村瀬義史
本書は、活水女子大学で学内の礼拝/チャペルアワーとともに「キリスト教学」を担当してこられた著者によるキリスト教学の入門書である。
多くのキリスト教系大学では、「キリスト教学」もしくはこれに類する建学の精神に関わる科目が必修になっている。この科目の担当者は、科目開講の目的を念頭に、限られた時間で、学生に何をどう伝えるべきかを日々問いながら授業の準備にあたっているであろう。そもそも「キリスト教とは何か」という問いに唯一の正解がないのだから─このことはキリスト教学の前提であろう─講義で共有される事柄のフォーカスが、担当者自身の福音理解・キリスト教理解になることは避けがたい。だからこそ、少なからぬ数の学生にとってキリスト教について学ぶ最初で最後の機会になるかもしれないその科目を担当する者の責任は重い。伝達内容の選択も重要だが、探求心を刺激し、キリスト教と向き合う「旅」を導くナビゲーターとしてのノウハウも必要とされる。
評者自身、キリスト教主義大学の学部チャプレンの一人として奮闘しているが、こういう仕事をする上で、同様の職にある方々が執筆されたキリスト教学の入門書から大いに学ばせていただいている。このたび出版された本書も、背後にある長年の試行錯誤に敬意を覚えつつ拝読した。
本書は約百ページのコンパクトな書物である。内容は三部構成で、まず、第Ⅰ部「キリスト教の基礎」として、礼拝とその構成要素である聖書、説教、主の祈り、使徒信条、教会暦など、伝統的にキリスト教会を形成してきた重要な項目が概論される。その後、第Ⅱ部「旧約聖書から学ぶ」で天地創造から始まる原初史、族長物語、イスラエル史の主要部分が紹介される。そのうえで、第Ⅲ部「新約聖書から学ぶ」ではイエス・キリストの生涯と教え、また使徒たちの働きについて論じられている。第Ⅱ、Ⅲ部では人物に光が当てられている。また、関連の用語や芸術作品の紹介、聖書にまつわる美術作品が随所に挿入されており初学者が親しみやすいよう工夫されている。またところどころに、読者の思索を促すための設問が入れられている。
この分量でキリスト教学のテキストを執筆しようと思うと、「キリスト教」がもつ多面的で膨大な情報から、かなりの量の「枝葉を落とす」作業が求められる。それは、何が「キリスト教」のエッセンスであると考えているか、また、著者自身の福音理解やキリスト教理解について表明する作業にもなる。そこでは、多かれ少なかれ著者の教派的・神学的な背景も反映される。本書では著者の基本姿勢が次のように言明されている。つまり、著者にとって「キリスト教が教えることは不変的 な内容である。それは聖書が永遠に書き換えられないことと同じである」、また、「『キリスト教学』とは人間の理性に基づいて、いわば『教会の外の世界』つまり私たちが『世俗』とよぶ人間社会においてキリスト教精神を広げる学問である」(101─2頁)。ここから推察されるように、本書は全体として、キリスト教精神の源泉たる聖書の使信を読者に伝えようとするものである。神の愛と赦し、人間の罪と様々な囚われからの解放、内面的な悔い改め、使命に生きること、といったテーマが平易な言葉づかいによって叙述されており、キリスト教信仰において重要とされてきた事柄にあらためて気づかされる。本書は、大学の授業のテキストとしてだけでなく、どのプロテスタント教会においても信仰生活の手引き書の一つとしても活用できるであろう。
ただ、教会や聖書の内部で共有されている信仰・思考についての叙述が中心になっているだけに、求道者ならまだしも、初学者が単独で読むには難解だと思われる部分があることも指摘しておきたい。たとえば、著者が力説するキリスト教の信仰と教えの「普遍性」が理解・了解されるためには、本書と読者との間に橋を架ける適切な解説が必要とされるであろう。その点では、信仰をめぐる対話や議論を促す情報源としても活かすことができよう。手軽に読める入門書であり同時に「キリスト教とは何か」という切実な問いをめぐる労作である本書が、広く読まれることを期待したい。
キリスト教ビギナーズ
キリスト教から生きる意味を学ぶ
崔炳一著
A5判・104頁・定価990円・一麦出版社
教文館AmazonBIBLE HOUSE書店一覧
村瀬義史
むらせ・よしふみ=関西学院大学総合政策学部教員