愛すべき永遠の少年たち
〈評者〉後宮敬爾
本書は二人の「永遠の少年」のライフストーリーである。一人は同志社大学神学部から多くの牧会者を送り出した深田未来生。もう一人は、バイオエシックス(生命倫理)という分野を日本社会に創り出した木村利人。この二人には、多くの人を愛し、多くの人に愛されているという共通点がある。米寿を迎えてもなお少年らしい夢と反抗心を失わないその二人が、自身のライフストーリーを執筆した。
このライフストーリーは、単なる自分史ではない。ここでいうライフとは、人生であり、生涯であり、生活であり、生き方である。それらから社会や文化や価値観を読み解く試みなのである。
内容は、五章で構成されている。
第一章では、深田未来生の人生と生涯が語られる。深田自身が「このような企画を進めて良いのか」と記すくらい正直に誠実に、苦々しい思い出も記されている。しかし深田を知る者は、その体験があの深田の包み込むような優しさを涵養していったと気づくこととなる。
第二章では、木村利人の人生と生涯が綴られている。どんな時にも前向きで笑顔を絶やさず、社会全体に大きな貢献をし続けてきた木村である。しかし、その原点は、やはり人間存在の根底が揺るがされるような体験だった。
第三章には、二人の対談がまとめられている。ここで中心になっている概念は「責任」である。二人は少年時代に戦争を体験している。しかもそれは受け身として戦争を体験したのではなく、書名にあるようにむしろ積極的に戦争に加担する「軍国少年」だったのだ。そのことを振り返りながら「子どもなりの責任の取り方があるのでは」ということを自らに問う。そして、その問いは、「あなたは、今、社会の中で、そして教会の中で、自分の責任を果たしているのか」と私たちにも問う内容になっている。
第四章と第五章は深田と木村による本書のエピローグである。深田は、自分という人間の成長を支えてきたものは、心を砕く多くの人との出会いと交わりであったと語る。縦の序列ではなく上下のない円形の人間関係によって「うまく生きるより共に良く生きる」事を勧めている。
木村は、敗戦後の「新憲法」との出会いを詳細に語る。戦争の愚かさを痛感した木村にとって、「戦争の放棄」「民主主義」を中心とした新憲法こそが、日本のみならず世界が良いものへと変化するための「希望」なのである。
そして、この二人のもっとも大きな共通点は「信仰」である。二人ライフが崩壊するような危機を救ったのは神であり、その神によって備えられていた人々との出会いであった。そして、その経験は二人の神の愛に対する強固な信頼となっていく。深田はそれを西陣織の「横糸と縦糸」の織り合いと表現し、木村はそれを「摂理」と表現する。本書を読み進めていく内に、二人のライフストーリーに伴っていた神の愛が浮かび上がってくるのだ。
これからの時代はいくつも未知の壁を越えるような生き方をしていかなければならないのだろう。「隔ての壁」(エフェソ二章四節)を越えるために、どのような視座と信仰が求められるのかを学べる良書である。
後宮敬爾
うしろく・よしや=日本基督教団霊南坂教会牧師